読書ノート 12







■ ヨシダ・ヨシエ 闘うマテリアル−−−戸村一作覚え書 その2





「その1」のつづきを書きます。ヨシダ・ヨシエのこのテキストは『ヨシダ・ヨシエ全仕事』に入っています。戸村一作(1909〜1979)についての頁は、あまり多くありませんが、一番重要なテキストであることには変わりありません。今は13時27分です。14時15分までには書き上げるつもりです。




私は日本の美術に関しては、・・・世界の美術に関してもですが、ある程度の知識はありますが、網羅的に勉強したわけではありません。ハイ・レッド・センターについても、よく知らないいし、小林秀雄の『近代絵画』については読んだこともありません。(『ゴッホの手紙』は読みましたが)。




戸村一作の作品は、現在の情報化社会「以前」の作品です。それらは産業資本主義における重工業段階に対応する時期のものであり、今から見るとやや古くさいものに見えると思います。しかし、注意して欲しいのは、物質は露呈するということです。重工業段階を経なければ原子炉は出現しませんでした。そして重工業段階が終わった、インフラは整備された、とみんなが思い込み、スマートフォンをいじっていて情報化社会を謳歌しているその時に、原子炉という重工業段階の遺物(構造体)の欠陥が露呈したのです。情報とモノ、この2つは切り離せないのです。




もうすこし回り道をしましょう。映画を作るにあたって、「モノ、ないし、モノの世界をどう扱うか」という命題について書きましょう。「モノがどう、いかにして主人公の男なり、その妻なりに反映するか」という関係において捉えられているケースがあります。これはまさにヒッチコックにおける「染み」であり、ヴェンダースにおける「車」であり、ゴダールにおける「ランプ」であり、小津における「ビール瓶」です。しかし、「(決定的な)ひとつのモノ」となると、そうそう多くの映画が扱っているわけではありません。(アントニオーニの映画の中で、コーヒーカップが床に落ちてこぼれるというとても緊張感を強いられるショットがありますが、あれは決定的なモノがあるということの表現です。)そして、火曜サスペンスでは「ひとつのモノ」が事件の解決になる「キーマテリアル」となりますが、それは主観的な反映物が、ある瞬間から、客観的な事物に成ることです。最初あったモノはたんなるオブジェでしたが、どういうわけか、ある瞬間から客観的な事物になるのです。映画やテレビドラマの世界ではこういったことがたくさん起きます。




さて、戸村一作の場合は、・・・いくつかの時期にわけることができますが、・・・重要な彫刻期ものをとりあげましょう。「闘う大木よね」(1973)です。当時戸村一作が大事にしてたのは農機具でした。農機具、すなわち鉄という物質感が彼の回りにありました。そして、最初はストロンシャン・イエローなどを基調としたミレーやコローなどで知られるバルビゾン風の絵を書いていたにもかかわらず、農機具が三里塚の農民と物質的にも精神的にも結びついていたために、70年代初頭より、農民と連帯することになったのです。物質の脅威とはこの結びつきをもたらすことにあるのです。(フェイスブックツイッターで結びついてなくとも、物質とそれを知覚する人間は結びつきを想像的かつ現実的に実践できるのです。)そして、その時期より、農具や農機具の素材である鉄を使って、オブジェを作りはじめるのです。まさに彼はたんなる農機具販売店のせがれだったのですが、徴兵を忌避し、サボタージュし、絵を書いたり、キリスト教の文献を読んだりしているうちに、画家をめざすようになり、つづいて三里塚闘争の指導者をつとめながら、一方で絵画や彫刻を作っていたのです。





「闘う大木よね」という作品は農機具(脱穀機)という物質と切り離せないものです。・・・よねの闘争のクライマックスは警官に殴られ、歯が抜け落ちてしまった時にあります。その時、よねがなぜ、警官にケンカを売ったのか?・・よねの住む家屋や農機具(脱穀機)が奪われようとしたためです。それを守るために反抗したのです。その時のよねの苛立ちや情動の全てを鉄という物質に託し彫刻化したのが鉄をもって制作された「闘う大木よね」です。これは、さきほど言った「たんなるモノ」が「客観的な、そして決定的な事物」になるということです。物質はタイトルを付された芸術作品に変化するのです。これはあたりまえのことです。さて、戸村一作は、共産主義運動をきらったマチスよりも、ゲルニカを作ったピカソに近いというべきでしょうか。もちろんそうでしょう。





『岩山に鉄塔ができた』(1972)という小川紳介(1935-1992)の映画がありますが、鉄塔というのは、ジェット機が成田に到着するのを妨害するための鉄塔です。成田空港がついに整備された頃、アメリカのボーイングの視察機がやってきたのですが、三里塚の農民はこのジェット機の到着を妨害しようとしました。それで、巨大な鉄塔を作ったのです。鉄塔も戸村一作がデザインしたのではないかと私は推察していますが、これは未検証です。そして彼は成田が開港するかしないかという頃に、『管制塔』という作品も作っていたのですが、未完に終わったまま逝去しました。これは未来の成田空港の管制塔を「へなちょこでいまにもつぶれそうな構造体」として冷笑したブラックユーモア溢れる作品になるはずだったのではないかと、ヨシダ・ヨシエは指摘しているのですが・・・・と、以上が、「闘うマテリアル」を通じて、私が学んだことであり、私的な感想です。時間になりました。最後にヨシダ・ヨシエの言葉で締めくくっておきましょう。





この情報社会の資本帝国主義的構造に、すっかり慣れ親しんで、今日も夥しいエネルギーを消費し、大地を破滅させ、農民を苦しめ、観光という名の経済侵略・文化侵略をしている日本人すべてに、戸村一作の闘いの過程と、三里塚の闘いの<真実>をつきつけたいとおもいますし、ひとりの孤独な道を選んだ芸術家としてのかれの作品が、何よりも強烈な現代美術批判を持って、想像にたずさわるあなたに向けられていることを伝えたいとわたしはおもいます。(p,362)



(3・20記す 上部写真は戸村一作氏、下部写真右がヨシダ・ヨシエ氏)