http://www.neoneoza.com/program/jiki_to_kazan.html
晴天の霹靂、とは今日みたいな空のことを言うのでしょうか。「霹靂」とは何でしょう。手元の携帯の辞書機能で調べると「かみなり。急に激しく起こる雷鳴」とあります。つまり「急な、激しい、雷のような晴天」のことでしょう。ともあれ、久々にすばらしい、なんといいますか、グワ〜っとくるサブライミー(サム・ライミじゃありません笑)な夕陽と夕空をほんの少し拝めて、意味不明の昂り感、恍惚感に襲われていました。雲を透過する光の感じが、夏のフィーリングで把持できるもので、「ああ、もう夏か!やばいやばい!」と一人焦っておりました。マイナー・トランキライザーを摂取しすぎたため、リバウンドが起こったのかもしれません。(笑/笑)
さて、携帯と言えば、私は初めてそれを持った24あたりから趣味のように紛失しておりまして(笑)、京都時代に2回、東京に来てから3回という失態ぶりです。うち4回は奇跡的に、世間の良心によって手元に返ってきたものの、5回目は完全紛失。いやはや東京の酷薄さを呪うばかりです(笑)。しかも紛失原因はすべて酩酊後に、どこぞで野良猫のごとく寝てしまい、そのまま朝を迎え、そのまま帰宅して、気づかずに2、3日過ごして、ある瞬間、突然気づくというものでした。紛失季節はすべて夏場。この非合理、非術、非生活。笑うしかない、ワッハッハがっはっは、っと、そんなわけで連絡を取りたくても取れない、という状況が長引いていました。その上、これまたそんな状況をずううっっと、看過してきまして、どこまで呑気な野郎なんだ!お前は、とブっ叩かれそうですが、なかなかこういった性格は治りませんなあ。・・・しかし、着信名が出ないものは、やけに急いで通話ボタンを押したものです。いったい誰?お前誰よ!ってな感じで。(笑)
と、そういう野ざらし風ざらし的状況も四十路の二つ目の曲がり角を曲がってどうか?と、本日某SNSのサイトから、知人友人に連絡を取るべく奮闘しておりました。が、これまたパスワード失念で再発行手続きした上に、数年前とは一変した操作画面もすっかり解明できず、それでも、やっとのことで成功し、とりあえず一名だけ連絡しました。
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そんなかんな??で今日は予約、4名入りました。ありがとうございます。各人丁重にリザーヴさせていただきます。・・・・当日は紳士淑女のために、能う限りエレガントなパーティを催しますが、しかし、あくまでも映画がメイン、ということで、存分楽しんでいただけたらと思います。
で、話は変わりますが、ここ数日、「映画の見方」というものをぼんやり考えていました。私の場合は一人でぶらっと入って、観賞し、ブラッと出てゆくことが多かったし、今もそうだと思います。それも、なるべく場内喫煙可で、売店には必ずお酒とおつまみが置いてあり、極端に空いている映画館が大好きでした。そして、気が向けば、帰路にどこぞのバーで、ひとりグラスを傾けてよかったシーンやら何やらを酩酊回廊上で反芻し、余韻にひたりつつ明日の作戦を立てる・・・というスタイルが好きでした。(←ああ、いいですね、こういうのはやっぱりモア・エレガントですね)。
現行の映画館体制はちょっと厳しすぎるというか余裕がないというか、映画鑑賞の悦楽感が一時期より、どんどん減っていると思うわけです。その上、このネット動画勃興時代、貨幣交換/商品交換なしで、部屋に閉じこもり、忙しくクリックし、貧しさの反映にちがいないだろう小さな荒れた画面で、映像/音響をプチ享楽することには「体験の悦楽」は訪れにくい。「ひとりでゆっくりとくつろいで()を見る」。()に映画は入れど、you tubeやニコニコ動画は代入できないだろう、と。内容はともかくも、その行為の質において、やはりネット動画と映画は決定的にちがうのです。(←すっげえあたりまえの事言ってて、自分でもうんざりしますが笑)。
当時(私がもっとも頻繁に映画館に通ったのは1990年代前半です)は現在のシネコンみたくガチガチの完全入替制は、どちらかと言えば少数でしたし、下手すると一日中映画館で過ごすこともできました。そして、これはけっこう重要なのですが、予告篇時に中途半端な照明が点いていることはありませんでした。昔は最初から完全に暗転。現在はいわゆる「暗転」の強度が落ちてしまったとしか思えないのですが、まあまあ、サーヴィス向上の一環なのだから致し方ないのでしょう。
「昔は良かった」的な物言いは、どの時代、どの世間でもあります。こと映画に限っては、4、5年前の消防法改正以降の映画館(銭湯その他の公共施設もそうなのですが)で「煙草が吸えなくなった」し、「一日中映画館でダラダラできなくなった」ことは、個人的に痛手であります。(あ〜昔はよかったよ!ホント!)(ついでに・・・わが戦友によると、「あのシネコンのポスターのリプレゼンテーションにはなんのメソッドもない。なんの疑いもなく、あれで良いと思っている、なさけない。ひとつひとつはいいかもしれないが、複数のちがう映画が一緒にかつ平板に並んでいるのが良くない、個性を殺しあっているし、まったく見る気にさせない、ポスターフレームをどうにかするとか、柱状にするとか、なんとでもやりようがあるのに・・・」と嘆いておりました。鋭い。)
なにを書いているのかわからなくなってしまいましたが、今回の『磁器と火山』、上映会場はそんなにゆったりとはしておりません。(笑)。どちらかといえば、窮屈かもしれません。しかし、それはそれで、小箱の良いところでしょう。集団性/一体性の強度を高めよ、と宣うわけではありませんが、なるべくベストな形でご覧になっていただきたいので、そこは手抜きせず、パーフェクト・プロジェクションを目指さすべく、空間設計します。・・・さてさて、・眠い眠い。無理は禁物。あたしゃあ、・ひとっ風呂浴びて、明日の完璧な作戦を練り直し、そして眠りにつくことにします。それでは。(2・9深夜)