映画ノート 2

映画ノート 2






■ 伊藤大輔 『王将』 1948



伊藤大輔清水宏とともにトラッキングショットを好んでよく使う。(ただ違うのは清水宏は水平からきっちり天地をわけたものが多いのに対し、伊藤大輔のそれは曲線を描くようなマングース的トラックアップをも導入していることだ・・・その曲線性こそが日本家屋の特性である格子性・・グリッドネスをこれでもかと際立たせている)。両者より、過去に遡れば山中貞雄の『河内山宗俊』あたりか、溝の水をはねつけながら、斜め上俯瞰ショットで足の動きを追うトラックアップがあった。そのシーンが「見事だ」と思ったために山中の三作品の中では「一番良い」ということになっている。・・・昔、幻の傑作と言われた伊藤大輔監督の『忠治旅日記』を京都文化博物館の映像ホールで見た記憶がある。観客のほとんどがおじいさんだった。上映中、おじいさんたちは、その映画のどこかしらに感心して「ほうっ!」とか唸っていた。僕はどこが傑作なのか最後までわからなかった。・・・さて、『王将』の大きなテーマは夫婦愛であるが、「デタラメであること」と「生産的であること」が必ずしも矛盾しないということをその<テーマ=内容>から学んだ。あと、特に三吉が将棋大会に出る費用を捻出するために仏壇を売り払い、そして10分後には賞金で買い戻すシーンが好きだ。以下、パッケージの文章をそのまま記しておこうと思う。いい映画だった。

「将棋の鬼、坂田三吉の半生を、阪妻の代表的名演で描く力溢れる名篇!大阪天王寺附近の長屋に住む、その日暮しのぞうり職人坂田三吉は、三度の飯よりも将棋が好きで、肝心の稼業もそっちのけである。女房小春の苦労は絶えず、娘の玉江を連れて家出したことも度々である。そんな三吉だが、腕は玄人はだしで、ついに諦めた小春から、いっそやるなら日本一の将棋差しになれと励まされた。折から来阪中の関根八段と対戦し、以後、宿命のライバルとして名人位を争い合い、彼の名は天下にとどろいていった。」






■ ドン・シーゲル 『アルトカルズからの脱出』 1979



周知の通り、アメリカ映画は「ビッグネス」を志向するが、すぐれたアメリカ映画は同時に「スモールネス」への視座(パースペクティヴ)も忘れない。「世界は、小さなものと大きなものを同時に含んでいる」という至って当たり前の事実を受入れている、それがよりまっとうなアメリカ映画である。・・・「監獄」、それは格好の極小化舞台であり、一方の「脱出」、それは格好の極大化舞台である。例えば脱出に使用するわずか5センチの爪切り、その「物質的なサイズ」は、すでにして「観念的なスケール」として把握されているのだ(サイズとスケールは違う概念である、ここに注意しなければならない。)。だから、世界のサイズは<あらかじめ>累乗化されていると言ってもよい。・・・(監獄はどの国にでもある。だが、『監獄ロック』(エルヴィス)がなぜアメリカで生まれ、流行したかを考えてみてもよい。そしてなぜ「監獄ソナタ」ではなかったのか?あるいは「監獄ポップ」では・・・)・・・囚人の一人がししとうサイズほどのネズミを飼っているが、それは悪くない。昨今、エスケイプ・ムービーとして大流行した『ショーシャンクの空に』も小鳥の雛を飼っている囚人が登場していて、それも悪くはなかった。イーストウッドは演技のミニマリストだ。金太郎飴のように、どの場面を見ても同じ顔をしている。いい映画だった。






■ クリント・イーストウッド 『ハードブレイク・リッジ』 1986



手櫛でやや乱れた髪をととのえ、
疲れで垂れ下がったマナコに少しの嫌悪感を感じ、そして
両指でギュっと目をおしひろげたりもする。

君は鏡を見る。
だが、いつもの顔だ。「コレはオレだ。」
君はそう思う。

そうして、
ため息をつくどころか、むしろ、息を押し殺して、
君はすみやかに次の行動に出る。とても慎重に。とても静かに。

窓の隙間。足音、吐息、手の位置、指の角度、歩幅、立ち位置、目線の配置、唇の稜線、漏れる声、言葉、言葉とそれが外界にあたえるだろう意味。

たそがれた女のドレスのわずかな揺らぎまでも計算に入れて、君は瞬きの数と足を組みかえるタイミングを微調整する。

カーテンが突風になびき、光が一気に差し込む。
マグリッドのポストカードのような青空。
ペーパー・スカイブルー。

照りつける太陽が白い砂を焼いている。
またたくまにぬるくなったビール。
そして、ミントの葉を奥歯でかじる。
日差しは強い。帽子のつばをギュッと降ろす。

クリント・イーストウッド、君はつねに外出している。・・・部屋の中でくつろいでいる時間など、君にはない。・・・自宅の隅に立てかけてあった音をたてない鏡から離れても、君は無数の鏡に取り囲まれている。・・・一切の事物が君を照らし出す。・・・香港に行っても、イタリアに帰っても、硫黄島に行っても、北極に行っても、火星に行っても、ウクライナに行っても、アンゴラに行っても、
・・・君の目にうつるもの、聞こえるもののすべては、そう、まぎれもなく君にとっての鏡なのだ。・・・プルトップを開ける「プシュッ」という音。ビールを飲み干す喉もとの音さえもが君にとってのサインとなる。・・・サインは送られ続ける。・・・君はそういう現実に嫌気がさして、ジッポーの底で、鏡をカチンと割ろうとするが、いつも失敗する。・・・君は知らぬ間に「幻のクリント」を、浮遊する亡霊として、悠々と手なずけてゆくのだ。・・・君は「ミラーマン」だ。・・・「ミラーマン」は永遠の憎悪、永遠の否定性を押し殺し、別れた女のもとへと帰って行った。ロックの大将を気取る陽気な黒人の青年と・・・その青年からわずかな金を取り返すためにも。・・・だが、そこにも荒野が待っている。永遠に使い道のない<否定性>・・・戦争のための兵器。軍隊の戦車。賞味期限の切れた弾薬。自動小銃のAK47。・・払い下げ・・・スピン・オフされた映画の舞台装置の数々・・・。



『ハートブレイク・リッジ』の冒頭部で採用されているカメラワークはマングースである。カーヴを描くトラックアップ、そのうねりをやや俯瞰からリアライズした、まさしくマングースの動態視。35mmのキャメラ、そのシューティングシステムをもって腕をならすイーストウッドの撮影現場。ロック大将、マリオ・ヴァン・ピープルのクラウニックな演技を、寛大さをもって歓待する。クリント・イーストウッドマムシのようにしつこい男だ。だが、マングースにようにしなやかで、コブラのように強靭。古くなった皮を脱ぎ捨て、生まれ変わる術を心得ている。それが蛇の知恵であり、ヒロイズムである。(2010−09−03)







■ マーティン・スコセッシ 『レイジング・ブル』 1980

なにかにつけて嫉妬深い男がいる。その嫉妬が彼の原動力のすべてである。そういうことがよく描かれていた。







■ チャック・ジョーンズ 『バッグス・バニー』 1939



アメリカ産のカートゥーン(漫画映画)と言えば、誰しもが、『ミッキー・マウス』を思い浮かべるのではないだろうか。けれども、ぼくはずいぶん前から『ミッキーマウス』よりも、はるかに『ルーニー・チューンズ』シリーズに惹かれていた。そして、『バッグス・バニー』シリーズは『ルーニー・チューンズ』や『トムとジェリー』シリーズとともにワーナー・ブラザーズという映画会社が製作していたマクロ・コンシューマー向けのヒットアニメであり、その元祖と呼ばれるものだ。


それは20代半ばの頃だったか、ぼくが京都にいた頃は、ずいぶん音楽関係者とつるんでいたものだった。なかでもサイケアウツという知る人ぞ知るイカれたテクノ・ユニットのリーダーであるオオハシ・アキラ氏とは仲がよかった。「ブラックホール・ナイト」と称して、京都で一番はじめにできたクラブであるクラブ・コンテナのカウンターで、朝まで哲学やら量子力学やら宇宙物理学やらの話やらを音楽と映像にむすびつけてしゃべりちらしていた。(まあお互いクソ真面目な勉強家でもなんでもないので、ほんとうにテキトーなことをテキトーな感じて話していて、「その仮説はマジで、オモロい!」みたいな感じのおしゃべりをえんえん続けていたのだった・・・あの頃は「膨大なヒマ」という得体の知れない何かがあった)


そんな時に『ルーニー・チューンズ』の話がでてきたのだった。トゥイッティーロードランナーヨセミテ・サムなどのネーミングが、まずかっこよすぎるということや、オオハシ君が唱えていた「ラカン理論/『ルーニー・チューンズ』同根説」というムチャクチャな仮説や、科学的には100パーセント起こりえない事(インポッシビリティ・・・不可能性)を扱うカートゥーンのなかでも、ワーナーの製作するそれは過剰な「速度中心主義」というべき何かが強調されていて、制作サイドにおいては、「光」(フォトン)の速度を超えるとする仮説物質「反光子」(タキオン)を実現するという狙いがあったのではないか、その狙い(というよりも「アメリカの無意識」)が結果、1969年のアポロの打ち上げにつながっていったのではないか、という話や、(物理学の世界では常識だが)「光の速度は音の速度の7、5倍ある」という科学的事実を『バッグス・バニー』の音楽監督であるカール・スターリングは過剰に意識しながら映画に適用していて、それで、あのようなストラヴィンスキー的な突発的にして、過激な転調を行っていたのではないか、という話などをしていた(ちなみに、7、5倍のズレは、花火大会における花火(映像)と花火の音(音響)のズレを想像すればわかりやすいかと思う)。



バッグス・バニー』シリーズ、そのショート・カートゥーンを監督しているのは、チャック・ジョーンズだけではなく、ロバート・クランペットや、フレッツ・フレレング、テックス・エイヴェリーなどもいる。そこで、バッグス・バニー命名される以前のウサギを起用している1939年に制作された『バニーのマジック・ハウス』(原題は『PREST-O CHANGE-O』)を取りあげてみたいのだが、今は、あれこれ分析する時間的な余裕がない。



「ワーナーアニメ好き」という著名人はなかなかいなさそうだが、ぼくが知っている限りふたりいる。サックス奏者、というよりも「とてもヘンな」ミュージシャンであるジョン・ゾーン、そして映画監督のジャン=ピエール・ゴランである。(2010-09-21)