美術ノート 7





■ バーネット・ニューマン展   川村記念美術館  その1







おろしたてのまっさらな絨毯のような緑の芝生の丘陵地を降りると、光にあふれた青空を反射させる池に大きな白鳥がたたずんでいる。そんな壮大かつ瀟酒な庭園に囲まれている美術館の2階に「アンナの光」は、今、まさに掲げられている。





つい先日バーネット・ニューマン展に行ってきた。じつのところ「アンナの光」は常設展示でも観賞できるものだ。ロスコ(マーク・ロスコ)ルームと同等に、ニューマンルームと名付けられた部屋で、通年見れるようになっている。今回は日本発の大々的なバーネット・ニューマンの企画展示(日付〜)なので、実家のニューマンルームから一時的に外出している、というわけである。




さて、「アンナの光」に対峙する前に、まず驚いたのはこの絵をプレザンスさせるための(現前させるための)ミュージアムサイドの空間的な演出、そのこだわりようだった。まず、3ブロックほどの大きな部屋を順々に見て行って、さあ、次のブロックへ、という時、さっと身を翻すと、先の方から真っ赤な光が差し込んでくるではないか!・・・ホワイトキューブ内に、さらに手を加えて特設されたパーテーションの白壁の隙間から、真っ赤な光が差し込んでくる・・・おもむろに足を運んでゆくと、真っ赤な光が、よく磨かれた床にヴィヴィッドに反射していて、まるで赤いガス状の気体がゆっくり上昇しているように見えてくるのだ。白壁の隙間が、ニューマンの絵のひとつの個性である、ジップと言われる縦帯面を、そのまま三次元展開したような効果を生み出していて、この心にくい演出−空間的配慮にまずは感嘆の念を隠せなかった。



まず僕は「アンナの光」の前に立って、呆然とする他なかった。横10メートル、縦2、5メートル(正確には)ほどある巨大なキャンバスに描かれているのは「より大きな赤い面」と「より小さな白い面」(先にも触れたジップ)、つまるところそれだけである。(美術館のウェブサイトの写真ではダイレクトに伝わらないけれど、一応リファーしていただきたい → http://kawamura-museum.dic.co.jp)しかし、この絵を含めてバーネット・ニューマンの画業が語の真の意味で<偉大>であった、そしてこれからも偉大でありつづけるだろう、また(特に日本/東京のアートシーンにおいて)不当に隅に追いやられている(戦後アメリカで展開された)「ニューヨーク・スクール」と呼ばれた幾多の画家の中でも極めて突出した存在だったことを以下に記しておきたいと思う。




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経験に即して、もう少し伝えておこう。まず、じっと見ていると圧倒するような赤に、押し倒されるようになる。完全に思考は停止し、頭のなかでぼんやりとわき上がってくる単語らしき何かも、ついにシンタックスをなさないままに沈殿してゆく。すべては目の前の赤に包摂され、もぎとられてゆく。・・・しかし、一方で「私は<それを>見ている」という確信を捨てずにいる。官能でもない、恐怖でもない、快楽でもない、平穏でもない、不安でもない、感情でもない、感覚でもない、そして興奮でもない、そんな消去作用の極大化された効果−帰結がおとずれる。・・・「今、ここで、これを見ている・・・そして、見ている何か(身体)と見させている何か(キャンバス)が確実にある・・・」その両者の相互作用が、<容易にではなく>、かろうじて<一致>してはじめて、<それ>を見ているのが<それ>を見ている私と呼ばれうる事態があることに気づく・・・つまり、「私は見ているのだ・・見ているのはこの私だ・・・」この奇妙にねじれた、しかし絶対的な視覚経験の質を保証させるのが、「アンナの光」を見るということなのかもしれない。・・・というよりも「赤がこんなにも赤かったとは!」・・・この何がいいたいのかわからない何かが目の前のキャンバスにどんどん投げ込まれてゆき、その言葉を言わせている何か、つまり赤そのものがそのままにこちらに無限反射しているだけなのだが。・・・膨張し、拡張し、その赤光が沸騰してゆく・・・その沸騰に溺れてゆくのが「アンナの光」を見る<経験>ということなのかもしれない。




ところで「真の誘惑」が誘惑していることさえ相手に気付かせないものだとしたら事態はよりいっそう複雑になる・・ややロマンティックな形容かもしれないが、赤は誘惑的でありながらも、<同時に>その危険性、誘惑にさらされる危険性をも、その色彩のうちにとどろかせているのではなかったか。(ここで、なぜ信号機の赤が、なぜ危険を知らせるサインなのかを考えてみよう)。





レッド・モア・ザン・レッド。その赤が「赤から離れろ」といいだす。そして僕は、ただちに冷静さをとりかえし、半歩ほど退いて、視線をもちなおす。右端は白い。そこでまた視線をもちなおす。即座に左端(左縁)からペイントされている垂直の白い面、「わずかにある」という感じの白い垂直面が確認される。繰り返すが、「アンナの光」にはこれだけのことしか描かれていない。赤と白の世界に還元される世界。ワインと饅頭と歌合戦くらいしか思い浮かばないが、しかし「アンナの光」において描かれる赤と白の世界はそれほど単純ではない。(2010−09−16 つづく)