ランダムノーツ 3



■ ランダムノーツ 3



・夜は酔っぱらって、だいたい0時か1時にダウンして、横になって3時半か4時に目が覚める。二度寝できる日もあればできない日もある。仮に二度寝しても浅い眠りにはちがいないので、いずれにせよ昼間は強烈に眠くなる。湯船につかるのを忘れると浅い眠りにしかつけなくなるのは承知している。そんな日々がつづいている。/問題は「無への郷愁」だろうか。「無いことへの憧れ」。この季節、アルコールは無への旅程を保証してくれる格好のメディウムだ。恐怖でもある。/暑さによって弱さが露呈する。マーガリンが溶けるように体が溶けてゆく。溶けてなくなってしまえばいいのだが、どういうわけか「生きず、殺さず」ということになっている。よって完全に無になることは失敗に終わり、かろうじて「ある」ことに成功する。/身体は弱くも、しかし、しぶといものだ。一方の理性などというのはいかにももろいものであり、夏の暑さは次のことを端的に知らしめる。存在(物質)が意識(心)を決定する。この立場をとるマテリアリズム(唯物論)は圧倒的に正しい、と。/・・・心の複雑骨折。7月24日の土曜日の早朝、やたらな崩壊感覚にみまわれる。嘔吐感、かるい頭痛もともなっていて、一瞬「クモ膜下出血」という言葉が頭をよぎる。バイトに行くためには8時15分の電車に乗らなければならないが、休むか休まぬか思案する。このままでは、この崩壊感覚に一日中つきあうはめになるので、ほとんど気をまぎらわすためにバイトへ行こうと決意する。午前中、あれこれ話をしているうちにいつもの感覚に戻ってくる。図書館の6階に食堂がある。お昼に五穀カレーなるものを食す。米粒が喉を通らない。よく噛んでゆっくりと食べる。/食後、窓からの景色をボーっと見ていると今晩は地元で花火大会があることを思い出す。地元の女友達でも誘おうか、と一瞬顔がちらついたがやめておく。7時頃に帰宅。花火の低音が響き始める。誘惑に屈して出かけることにする。「もっと近くで見たい」と思う。何を?もちろん花火を。最近買った新しい自転車でタマ川べりまで。どんどん花火のサイズが大きくなってくる。人ごみも増えてくる。日活の撮影所前あたりか、目が夜空に映える花火に釘付けになる。お姉さんが映画のチラシを配布している。手にする。『恋するナポリタン』、「世界一おいしい愛され方」。・・・歓声が上がる。警官が拡声器でがなりたてる。「立ちどまるな」と。「通れない」と。しかし、誰も動かない。歓声が大きくなってゆく。/・・・とても感動する。自らの感動に自らが圧倒される。こんなにすばらしいものがあるのだから映画なんていらないんじゃないか、と。芸術なんていらないんじゃないか、と。サブライム。贈与の一撃。じっと目を凝らす。涙が出てくる。夜空=スクリーン。音響、リズム、共鳴、ランダムな動き、色彩の明滅、流線形の光の消滅、大気という崇高。体内の水分がそのすべてに吸い取られていくようだった。/草と土が混ぜ合わさった香り。そのまま酔っぱらって川べりで寝ていると警官に起こされる。0時39分。ふらふらになって帰宅。湯船にお湯をはりながら、湯船に浸かる。気がつくと4時。お湯は水になっている。(2010-7-25)





万葉集朗読自販機のスケッチ。紆余曲折の中、かなりシンプルなものになった。フランク・ステラレリーフを途中で意識してしまい、それふうになる。リキテンシュタインかステラかの作品にマンガの吹き出しを巨大化したものがあったような気がするが、「これで行こう」と決断。「言葉=意味作用」から離れるためにまずは「吹き出し」だけを表象する。吹き出しの「形」だけが何か=言葉の残余?を表象する。(「シェイプド・キャンバス」化した吹き出し。)その場所において、残余としての言葉をかろうじて表象する。万葉集の語句の意味内容は吹き出しの「形」の影響を受けざるを得ない。だいたいそういうアイデア





・昔、読んだ大澤真幸の『意味と他者性』において自動販売機についての短い記述があったのを思い出した。ボタンABCDEがあるとして、われわれはその中から例えばCを判断する。だが、それは判断ではない。論理的に言って「判断」ではないという記述だった。それ以上考えないようにする。





・こないだまで、どんな映画なんですか?と聞かれて、「ストーリー性ゼロです。」と言えるのにはかなりスカッとしていた。ノンリニア編集はリニア編集との代替可能性もある(というか含んでいる)が、ノンリニア編集の可能性こそがノンストーリー性の実現を要請するというテクノロジカルな構造が所与のものとしてある限り、それに忠実でいたほうが良い、ということになっている。






・画家のデ・クーニングはなかなかすごいことを言っている。「過去が私に影響を与えるのではない、私が過去に影響を与えるのだ。」それでは「私が過去のものになったら」どうなるのか?過去になった私でも、なおも過去に影響を与えつづけるのか?未来の者が大過去になったデ・クーニングを発見する限りにおいてデ・クーニングはさらなる大大過去に影響を与え続けるのだろうか?前を見よ。(2010-07-26)