音楽ノート 3










■ くるり 『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』



▼「まあフニャっといきましょう。今、9月8日の午前11時29分で、すごい久々に雨が降っている。」
●「朝、おきたら外で音が鳴っていて、窓ガラーって開けたらホンマに降っていて思わず喜んでしまったな。」
▼「最近はこのままずっと雨降らなくて、日本も砂漠化していくのかあ、と思てたんやけど。」
●「さっきまで雨のなかビーサンでチャラチャラ散歩してた、というかコンビニまでビールとスパゲッティ・ナポリタンの具材を買いに行ってたけど、傘に雨が打つ音って、傘の笠のドーム内部で反響して、とても心地よい音だってあらためて気がついたわ。」
▼「固い音が一定の隙間をもって断続的に鳴るってきっと頭にいいと思うな。オレもメトロノームの音のカチッカチッとか好きで、己に緊張感を要求せなあかん時は部屋の中で鳴らしていたりする。時限爆弾がカウントダウンしているみたいでちょっとした異空間になる。」
●「くるりの『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』は9月4日のリリースだったんだよね。」
▼「そうそう、リリース初日に聞こうと思って渋谷の繁華街にあるHMVに出向いたんだけど、なんと」
●「なんと?」
▼「潰れていた。」
●「ガーン。・・・それで、あ〜、もうとうとうCDの時代は終わりを告げるのかって?」
▼「そうそう、渋谷にあるフロア6階のメジャーショップが潰れるなんて。」
●「進化しすぎて、巨大化しすぎた恐竜が、急速に滅びてゆくような感じなのかね?大が小を兼ねるのではなく、小が大を兼ねさせるという逆転現象のあらわれなのか?」
▼「それで、昨日、下北沢でのヤボ用ついでにRECOFANに行ったら<これキャッシュで買うと2割引です>っていうシールが貼ってあって、2割引きってけっこうでかない?と思って、買った。新譜3200円が2650円になるってビジネスライクじゃないよな。」
●「そうね、どこもかしこも商売難しくなっているよね。で、どうだった?」
▼「うーん、まずジャケットの写真が良かったな。あ、これこれ、みたいな。」
●「リーフレットの写真もなかなかよかったね。裏表紙の木と空の写真を大胆にトリミングしたやつはサラ・ムーンっぽい。」
▼「人の不在をどう表象するかって案外、近代芸術史的になされてきたことで、画家のエドワード・ホッパーやホッパーに影響受けたヴェンダースなんかは<人の不在>をアメリカ的崇高(アメリカン・サブライム)として描いていて、暴力的に翻訳すると、芥川龍之介の用語<ぼんやりとした不安>じゃないけど、けっこうネガティヴな感じを喚起させる。」
●「くるりおかかえのフォトグラファーなのかな、田尾沙織ちゃんが撮る写真って、これが<屋外>なんです、<外>なんですって、それだけに即した明快な写真を撮っている。不在じゃなくて、何かがある。」
▼「<外>やからどーやこーやの説明がないのがいいね。」
●「たんに光があって緑があって空がある。それだけでええやん沙織ちゃん。みたいな。」
▼「夜になるといい音楽が鳴ってて美味い酒があって、いい女がいる。それ以上の何を求めるんや?なあ、沙織ちゃん。沙織ちゃん聞いてる?」
●「ジャケットに公衆電話が映っているとこなんかはどうかしら?」
▼「そうそう、この灰色の公衆電話っていうのは人間関係のゴーストの表象なんじゃろね。」
●「そうじゃろね。昼と夜が交替する、その移行時間にポッと公衆電話の明かりがついて、夜が何かを待ち始めるんじゃろね。」
▼「別に携帯電話ですませれるんやけど、電話ボックスで受話器を持って話すエロスを突如思い出して、どうしよっかなー、電話高いしやっぱりメールでええかな〜、どうかな〜って迷ってるんやろね、ハイティーンの女の子が。」
●「はっはっはっ、なんじゃそら。」
▼「中森明菜の歌だっけな。<少女は黄昏時に女になる>っていうやつだよ。」
●「あ、それわかるな。化粧する用事がなくても、黄昏時にクローゼットの引き出しをおもむろに開けるのよ。でも、チラ見して終わり、みたいな。」
▼「口紅にカビはえてへんかな〜って?」
●「ちゃうちゃう(笑)」
▼「曲の方はどない?」
●「そやな。なぜか8曲目の『コンバット・ダンス』から。」
▼「マジ、ええ曲でした。」
●「ザ・クラッシュの『コンバット・ロック』ってアルバムがある。」
▼「あっ、わかった。「ロック・ザ・カスバ」の冒頭ね。」
●「そうそう、これはクラブでもよくかかっていた盛り上げ曲で、冒頭のギターの音色が似てるなあ、なんて音楽オタクみたいなこと言っちゃったりして。」
▼「ボクシングのボクサー同士のプレイがこの曲の舞台装置になっているんだけど、下からアッパーを突き上げる感じがいいよね。<そうそうパンチを良く見て相手の背後を回れよ>♪。ストイック、かつ図太いベースラインで。ファンクライクなギターカッティングもいい。」
●「そう、やや下斜めから串で突き刺す感じって、ラップ/ヒップホップの歌唱法でもあるけど、口声を鼻声で加工しながらフフンっていう感じで歌っているのがいいな。」
▼「チキンって弱虫っていうメタファーなのよね、アメリカでは。」
●「ニコラス・レイ監督、ジェーム・ディーン主演の『レベル・ウィズアウト・コーズ』(理由なき反抗)だよ。ついでにファンクっていうのも<逃げ腰>っていうスラングでしょ。」
▼「チキンレース。」
●「<SOU>を始め<サ行音>の頭韻を多用しているけど、「ジュビリー」以降のサ行頭韻多用曲だよね。」
▼「パンチをくらって倒れて、また立ち上がるみたいなシークエンスがあり、マーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』を思い出したな。」
●「サビに入る展開というかコードチェンジがよくて、コーラスの部分なんかはジャニメロ(ジャニーズっぽいメロディ)っぽくて、これは『魂のゆくえ』収録の「魂のゆくえ」にも通じるところがある。」
▼「嵐の二宮君とか好きそうな曲だな。YES!♪っていうところだけコラボして欲しいな。PVで。そこだけ二宮君がパッと画面に出てくる。おいおい、あんたよそのバンドで、出しゃばりすぎやで〜、みたいな。」
●「はっ、はっ、二宮はん、そんなことしたらクリント・イーストウッドじいちゃんに怒られまっせーみたいな。で、すべからく♪のパートは?」
▼「そうだな、和田アキ子あたりか。いや、淡谷のり子か。」
●「はっは(笑)ファイト・イントゥ・ザ・ストラグル。」
▼「次に「さよならアメリカ」、これはタイトルがええな。」
●「そうね、「コンバット・ダンス」がこの曲のアンサーソングになっていて。」
▼「「コンバット・ダンス」のサブタイトルが「こんにちはベトナム」になってるのかも。」
●「また、テキトー言ってるわ。」
▼「ベトナム戦争アメリカに勝ったベトナム人の運動神経、そこには人民戦線的な戦闘ダンスの協奏曲が多分にあるには違いないよ。」
●「たしかに、じいちゃん、とおちゃん、オレらっていう歌詞、これ近代的なファミリーロマンスではない。もっと縦にたっぷりと流れる時間を大事にしているんちゃう?しかし、とうとうくるりに<オレら>が出てきたか!」
▼「そやね、アメリカに負けた日本、敗戦国の日本、南米のインディアンを搾取しまくって、煙草制作技術をパクって、それを日本に高く売りつけてきたノースアメリカンの白人至上的資本主義へのカウンター・ストラグル。で、一昨年あたり戦後10年の日本映画みまくったけど、一言で言えば敗戦映画なんだよ。ギミーチョコレート、ギミージョブの世界あってのメロドラマなり、家族崩壊なりの映画。暴力的に定義すると敗戦映画が日本映画だった。幾多の近代化/都市化とともに。」
●「日本にはワイルドやボードレールがパフォームしていた葉巻のダンディズムが根付かない。むしろマールボロ、わが人生みたいな。」
▼「しかし、アメリカン・ハードウェイみたいな世界はどうしても嫌いにはなれないな。」
●「それはまっとうなアメリカンというかインターナショナル・ワーキング・クラスのポジティヴな理念の表象なんだよ。問題はWASPとかKKKクー・クラックス・クラン)とかフリーメイスンとかの怪しい拝金主義者の怪しい情報非公開的なライフスタイルにあるんじゃないか。」
▼「潤沢な石油があって、その石油をコントロールできる立場があって、それは近代の物質的リアリズムがもたらしたアメリカン・ウェイ・オブ・ライフとそのコピー文化と切り離せないよな。ケチャップ&マスタード大盛りで、みたいな。」
●「黒人のファット・マンとアメリカの白人デブはちょっと意味合いが違う。ブラックピープルのハイ・ファットな成金趣味的パフォーマンスは、白人に対する威嚇なんであってね。あれを渋谷のアタマの弱い若造が真似しても、なんの意味もなさない。」
▼「ホモの右翼青年に撲殺されて死んだ、イタリアの変態大映画作家であるパゾリーニの小説に『石油』っていうのがあるらしいけど、これ、はやく翻訳してほしいし、スポンサー逃げて撮れへんとか言うてる無能で暇な巨匠とかいたら、みんなでポケットマネー出し合ってはやいとこ映画化したほうがええと思うな。提供は出光興産でした、みたいなんでもええけど。」
●「出光興産の社長令嬢は、ジャスパー・ジョーンズやデ・クーニングや、アド・ラインハートや、バーネット・ニューマンやら、ニューヨーク・スクール(映画で言えばヌーヴェル・バーグみたいな一気呵成的/一触即発的な新進運動体)の画家たちを日本に果敢に紹介した東野芳明と結婚した。」
▼「油絵と油絵具はもちろん関係あるし、60年代の日本でのルオーの盛り上げ方って石油会社が、まあ関係してたんだと思うな。知らんけど。」
●「くるりにもガローンっていう曲あったな。ガロンって石油の重量の単位やったっけ。」
▼「ともかく、今、さよならアメリカって言い切るのはいいことやと思うよ。」
●「日本を<日の本・・ヒノモト>と読ませているのが良い気遣いだと思ったな。」
▼「ニホンでもニッポンでもジャパンでも、日出ずる国でもあかん、という外への意識やな。いや、日本を前提してへんかもしれんけど。」
●「アルバム全体通して、オープン・ハイハットの強い感じがすごいするんやけど、これが目覚ませって言い続けてる。」
▼「ギターもディストーションがかなり目立ってて。」
●「「目玉のオヤジ」とか、コードが千切れて、飛び散っている。おとこ気やな、このアルバム。」
▼「そやな。では、そろそろ雨もゆるくなってきたので、最後に、『ベトナム戦争開放詩集』より。BGMはもちろん11曲目の「石、転がっといたらええやん」で。ヴィエット・ナム!」





アメリカと戦う七十才の老婆
タイ・ティ・チャムおばあさんにささぐ

              ハイ・ニュー

ある春の朝キムバンにいく
県の役場にいって
おさえきれないほどの感動をもって
アメリカと戦う七十才の老婆の居所を聞く

ダイ河のほとりのゴックソン村
村は絵のようにうつくしく
老婆はその村のマナオ部落に住んでいた
わたしは緑の木のたちこめるなかで老婆に会うことができた

棍棒ももたず
ちっちゃなからだで おまけに腰がまがっているのに
どうやってアメリカと戦うのですか」

わたしの質問がかった老婆はとつとつと喋りはじめた
「蟹をとるざるをもって
毎日毎日 ひまをみつけては
小川で蟹をとっていたんだよ」と

老婆はつづけてうれしい話しをしてくれた
「南にアメリカがいるあいだは
自分だけ楽しんでいることはできない
苦しみをわけあわなければね」と
「くらしは(老婆はそっと呟いた)
合作社がみてくれたし
みんながアメリカと戦っているのに
どうしてわたしは負けることができるかね」
「むかしはくらしが苦しくて蟹をとったものだが
けれどいまはむかしとはちがって
蟹をとって弾薬ととりかえる
そうだろう あんた」(老婆は笑った)

老婆はもう五年間もカンパをしている
これはみんな蟹をとってえたお金
いまではそれが七百ドンにもなっている
老婆はこれからもカンパしつづけるだろう

おお ベトナムの老婆よ
老婆は蟹をとった一銭一厘を積みかさね
億万長者に挑戦しているのだ
なんという大胆な老婆だろうか

おーい 空を吹く風よ
吹けばとぶようだなどと馬鹿にするな
その行為はすでに嵐なのだ
城をも動かす強いちからとなっているのだ

クワンビンのスオットおばあさんは
爆弾を無視して渡船を漕いだが
ナムハのチャムおばあさんは
蟹を武器に変えたのだ

みんなよ アメリカに勝利しているベトナム
ベトナムの勝因はここにあるのだ
幼い子どもから
七十才の老婆まで英雄だという ここに


ベトナム民族開放詩集』 

加茂徳治
阿部圭司 編訳(1972 秋津書店)





2010/8/22 DIVE AT TAMA RIVER shooting by Y・I&M・U