4月29日、失神しそうなくらいいい天気の日は90分ばかり近所の公園で音楽を聞きながらビールを呑むことにしている。神代団地の付近にあまり人気のない三角公園があり、木陰の下の木製のベンチに腰かける(いつも座る位置は決まっている)。右手に団地、左手に鬱蒼としげった森があり、森の中心部から20メートルほどの煙突がそびえたっている。視線をおろすと赤い郵便ポストがあり、そのまま視線を手前にもってくると公園の砂地が一面に広がっている。砂地には、影が落ちている。さわやかとしかいいようのない風に木の葉が揺れ、その影がざわざわとが砂地をくすぐっている。





昼間の屋外は視覚情報が多く、事物の輪郭や色彩がきわだっているためか、それだけ酔いが早く回る。身体全体が独特の浮力をもった時に、木の葉の影の微細な揺らぎに身体が包まれるようになる。絵画にせよ、音楽にせよ「印象派」はこういった身体感覚から出発しているのかもしれないな、と「印象派」が頭をかすめる。







4月30日、昼過ぎに打ち合わせをした後に、考えたこと。






映画の撮影において決定的なのは、「場所」が「空間」になってしまうことだろう。固有の名(住所や建造物の名前)をもった場所が、その場所性を剥奪され、均質的な記号になってしまう。Aという空間はAという空間以上のものを含んでいるとはいえ「この一風変わった建物はどこにあるのですか?何なのですか?」という質問に対して「これはAです」とすまされるのが、建物の表象に対する答えに陥りがちだからなのだろう。それは「こういう映像が撮りたい」という欲望のレベルにおいて、その絵面(えづら)だけが問題となるような映画が多すぎるためだからなのだろうし、あらゆる「映像」には、その「映像をドキュメントしうる潜在性がある」にもかかわらず、「映像」それ自体がナラティブ(説話的)な次元において消化=消費されることに充足しているからなのだろう。例えば(友人に聞いた話で事の真偽はまだ自分で確かめていないが)現在の「中野区役所」はその昔「陸軍中野学校」(第二次大戦時における諜報員の養成所・・・ちなみに市川雷蔵主演のとても面白い映画がある)の跡地につくられた言う。しかし、それ以前に「陸軍中野学校」は(江戸時代に)「生類憐れみの令」が発令された当時、江戸幕府が野良猫や野良犬を預かっていた場所の跡地に造られた、という話を加えて聞いた時、中野区役所は「空間」ではなく、それ以上に歴史的な<痕跡ー出来事>が付随した決定的な「場所」であると言えるのではないか。撮影は「場所」を「空間」に変えてしまう。現在の中野区役所を撮影しても戦時中のスパイは映らないし、犬猫はうつらない。しかし編集という技術はその空間の均質性を変化させる可能性を内在させている。






ジル・ドゥルーズが(たしか『記号と事件』所収のインタビューだったか)「世界は映画であり、映画は世界である」と言う時、世界というのは「今、ここ」の空間(フラットな表象としての水平的な世界)というよりも、同時的に「今でもなく、ここでもないX」が<内在性ー潜在的なそれ>として内属している、<垂直的な多元構造>として「世界=映画がある」、と言っていることと殆ど同義ではないだろうか。