映画ノート 6





■ アニエス・ヴァルダ 『カンフー・マスター!』 その1





あらゆる恋愛映画は退屈である、ゆえに、恋愛映画を模倣するような恋愛はすべて退屈である。逆に恋愛そのものは刺激的である、ゆえに恋愛映画が模倣したくなるような恋愛は刺激的である。



恋愛そのものと恋愛映画は互いに模倣しあっている、これを察知しない限り、それらは各々近代的/制度的恋愛(映画)のパラダイムにすっぽりとおさまってしまうだろう。良識ある恋愛人においては、この「恋愛認識」は日の目(・・なんだよ、日の目って?)を見るより明らかだろう。真に創造的な人間にあっては、恋愛のスタイルすらも、創造的でなくてはならないのだ。そう、恋愛という観念を抹殺するほどに。



とはいえ、現実をざっと眺めてみると、恋愛映画にもさまざまあるし、実際の恋愛も多種多様である。たとえばアメリカ恋愛映画とフランス恋愛映画。その内容、質において、両者はおおいに異なっているように思える。清教徒ピューリタン)的思想が支配的なアメリカでは、恋愛は家族愛との厳正な函数でり、その二つは対角線上に位置する(清純潔癖なる恋愛の実現こそが両者の家族のためである)。恋愛=物語の牽引力はいわゆるハッピーエンド(という名のイデオロギー・・・「人間は幸福であるべきだ、ゆえに人間は幸福になるために、つねに不幸の状態に留めておかねばならない」という単純極まりない疎外論・・・(権力側が周到に用意した)の実現)であり、両者が対角線の中心で結合するところに最終的なエンド(目的)が果たされる。この次元においては恋愛は<家族=国家>の下位概念に位置し、<家族=国家>との擬似的連続性を確認できる装置にしか過ぎない。絶対的に、ではなく、傾向的にそうなのだ。



フランスではどうか。例えば、丹生谷貴志は次のように恋愛映画のフランス的、あるいはパリ的傾向について書いている。




誰でもが知るように、要するにフランスは恋の狂気からなる世界であるだろう。この言葉の陳腐さを真面目に取らなければならない。パリは恋の都、恋の狂気だけで出来た都である。デカルト以来、或はとりわけラクロ以来、フランス文学は恋愛感情と恋文と恋の狂気からなる世界、死に至る狂気としての恋から成る世界として展開してきたのだった。・・・(中略)・・・パリは恋の都、死に至る恋の狂気の都である。この陳腐なフレーズを真面目にとらなければならない。そこではすべてがただひたすら恋とその彷徨い、法廷のない恋愛裁判へと、堂々巡りを繰り返す。(『ユリイカ 総特集 ヌーヴェル・バーグ』 p,156 「恋の囚われ」)





トリュフォーゴダール、リヴェットを中心としたいわゆる「ヌーヴェル・バーグ」からはややズレた位置にいたが、アラン・レネクリス・マルケルらとともに「セーヌ左岸派」の主要メンバーであったアニエス・ヴァルダ。彼女が渾身の一作として撮った80年代の傑作、『カンフー・マスター!』(1987)を見なおした。そしてこの映画は(この映画こそが)、丹生谷貴志が指摘するような「恋の狂気」に貫かれているのだ。




まず、原案が(ヴァルダ監督の息子であるマチュ・ドゥミとともに主演格でもある)ジェーン・バーキン(かなりおばさんになってからの)によるものだということに驚かされる。10代半ばの坊やに目尻の皺も隠せなくなった中年女がふとしたことで惚れてしまう。セックスはなくとも、胸元から覗くほんのりとした闇に顔をつっこむなどのなかなかな接触=交感があり、「こんなことは実際に起こりえないだろう」という不可能性的次元を「実際に起こってもなんら不可思議なことはない。」というまったき可能性に与するような演出、語りの運びを採用している。虚構化の度合いが凄まじい、というわけではない、古くはジャン・ジャック・ルソーの『新・エロイーズ』(1761)から80年代のフレンチ・(ポルノ)・コミックの『ヴァンレンティーナ』(作者はグィド・クレバックス・・・なぜかロラン・バルトが解説を寄せている)までの、フランスのもっとも良質な自然主義的感性が具体化されているといってもいいだろう。(つづく)