読書ノート 10




■ 陣野俊史 『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』 その2






フランス暴動」について復習しておこう。ひとまず陣野俊史の『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』にしたがって。2005年10月27日夜、パリ北東郊外のクリシー・ス・ボワ市。3人の北アフリカ系の若者が、強盗事件を捜査していた警官に追いつめられ変電所に逃げ込む。15歳と、17歳、高校でのラマダンを終えたばかりの、帰宅途中のその2人は感電死する。1人は重傷。この事件を受けて、若者たちが暴動を起こす。パリそしてパリを外れて、アミアンルーアンディジョンマルセイユなどフランス全土にわたる主要都市に広がったその暴動は当時サルコジ内相が打ち出した治安対策(移民取締強化策)に対する反発を背景に持つ。





フランス暴動』、この貴重なドキュメントは暴動が起こったその直後より当時パリの音楽シーンを座巻していたラップ/ヒップホップの歌詞が警察当局よりの検閲にあった、その権力機構を暴き出すことにある。そして事件が「社会学」の対象に堕してしまった(いわゆる学術的な研究の対象になった)ところで、ラップの歌詞を読まないどころか、曲さえも聴こうともしないアカデミシャンに対しての筆者の憤りがこの書の通奏低音となっている。





まず、なにより重要なのは、アルジェリア戦争(1954-1962)を契機として、フランスには既に北アフリカからの大量の移民者が居住していたことだ。(アルジェリア戦争がもたらした「病理」に関してはフランツ・ファノン『地に呪われたる者』を参照してもらいたい)。そして居住者をパリ郊外に押し込め、彼ら/彼女らをいかにして管理するかが大きな課題となっていた。法定措置の次元で言うと、悪法と言われる1993年/1996年の「パスクァ・ドゥブレ法」が、移民を検閲する、つまり、大量のサン・パピエ(非正規滞在者である外国人)を生み出し、さらには政府が社会保障を剥奪するまでに至るのだ。96年3月21日には300人のサン・パピエの抵抗派がパリ東部のサンベルナール教会を占拠、4日後に警察による強制排除、10日後に50人が強制排除処分に合う。この一連の事件に関して、知識人のエドガール・モラン(すぐれた映画論をも記している)やポール・リクールらが「調停者集団」を組織し、強制排除処分の停止を政府に対して要求している。(詳しくは 稲葉奈々子「フランスにおけるサン・パピエ運動」を見よ)





さてここで、検閲の対象となった歌・・ラップ・フランセとはいかなるものなのか。誌面に取り上げられている2005年11月24日付けの「ル・モンド」の記事「ブラックリストのラップ」から見てみよう。<<ラップは郊外の暴力を表現している。シテ(郊外・・「バンリュー」をやや侮蔑的に「シテ」と言う)の若者たちが、言葉を持って叫び、彼らを余白に押しやっている社会に対する怒りを叫ぶことを可能にしてくれる。ただ、彼らのリリックには、単に過剰というだけでなく、受入れがたいものもある。>>




70年代の終わり、ニューヨークのブロンクスとゲットーで生まれたラップ(この言葉はラップするという動詞、つまり、拍を区切ってはっきりと歌うなどの意味から来ている)は80年代のはじめにはフランスを世界で2位のラップ大国にするだけのところまで、郊外の中に定着していた。ときに言葉遊び、だが頻繁に挑発的であったラップは、シテに住む若者たちの怒り、憤怒、期待、不満のヴェクトルとなってゆく。その受入れがたい過剰さに貫かれているリリック(歌詞)。ル・モンド誌は続けてムッシュー・Rのリリックの一節を取り上げる。
<<「俺がフランスに会ったとき、フランスは股を開いて、俺はオイルもなしで突っ込んだものさ」とルナティックは歌い、「フランスは売女だ、フランスがへとへとに疲れ果ててしまうまで、やり続けるってことを忘れないでくれよ」と、ムッシュー・Rは歌う。>>




ここでの「やる」とは、いうまでもなく性的な意味であり、「ファックする」というある種の攻撃性の表明である(ちなみにフランスは女性名詞)。このリリックはフランスの最右翼組織<FN>が流通させるディスクールとは真逆にある。「俺はフランスを愛しているのに、フランスは俺を愛さない。ゆえにフランスが俺を愛してくれるまで、俺はフランスをファックし続けるだろう」という左翼急進派的な過激な態度表明である。このラップは暴動に先立つ3ヶ月前の8月に<すでに>検閲にあっている、ということは、すでに監視下におかれていた、と見なすこともできるだろう。筆者はムッシュー・Rのほか、NTMの「何を待っている?」や、113「警察に抗して」、ラ・リュムールの「エゴの中で傷ついて」などを取り上げているが、ここでラ・リュムールのラッパー、エクエの肉声を再録しておこう。<<移民の子孫として、フランスが元の植民地との間に作っている関係を問い質す権利が、俺たちにはあると思うぜ。たとえば、フランスが独裁政権を支持しているようなとき。南北問題の含みや、新しい植民地問題が今の議論には欠けている。取り上げられる価値があるのは、タブーの問題だ。植民地化のポジティヴな役割をもう一回見直そうとしている2005年2月の法律など。あれがフラストレーションとなって、今度の暴動に繋がった。1945年のコラボ(対独協力)の効果を再検討するようなものだぜ。加えて、この数年の警察の職権濫用。俺たちは、こんな事実を暴露してしまったから、内務大臣から攻撃されているのさ」。>>




「2005年の2月の法律」とは、端的に「政治による歴史の介入」を制度化しようとする国家側の試みであった。いわば、「植民地問題」を一様に否定的にとらえるのではなく、否定面、肯定面の両面をあわせて評価しようとする<反動的な>動きが政治的にあったことをエクエは指摘しているのだ。より具体的に言えば、第二次大戦中のフランス軍によるアルジェリア人大量虐殺の記憶をよそに、歴史修正主義ともいえるような改ざんが行われてようとしている、それへの批判的温床を無数のサン・パピエが抱え込み今回の暴動に繋がった、と指摘しているのだ。





もうひとつ、暴動に先立つ1ヶ月前、2005年9月の新学期から、フランスの小学校では国歌「ラ・マルセイエーズ」が必修として教えられることになったとの記述がある。このような動きもまたサン・パピエの批判のターゲットになったに違いないだろう。こういった史実をざっと見直してみると、実に多くの伏線が「暴動」に張られていた、と見ることもできるのだ。出来事の表面だけみても、何もわからない、イギリス暴動しかりフランス暴動に関しても実際の「暴徒」とは(良くも悪くも未成熟な)ミドルティーンの若者だった。しかし、重要なのは出来事の表面を消費するのではなく、そこから数々のさらなる出来事(ゴダールの言葉を借りれば)<複数の歴史>を読解してゆくということだろう・・それはさておき、日本における「君が代問題」はどうなっているのだろう)以上、読後の感想というよりも、この書を大急ぎでざっくばらんに紹介しなおしたまでであるが、ラップ・フランセの分析以外には第三章で日本人の若手ラッパー「志人」へのロング・インタビューが掲載してあり、筆者の興味の広さ、姿勢の柔軟さを伺わせてくれる。「今、音楽の力とは何なのか」と大上段に構えるつもりはないが、音楽と政治が密接に絡んでいる、たんなる生産ー消費の回路の内部では説明しがたい苛烈なエネルギーを抱えているということを知るためにも一読をお薦めしたい。



最後に、本書にさりげなく挿入されているエピソードを記しておこう。先にも触れた「ドゥブレ法への非服従の訴え」としてフランスの映画人59名が署名運動を開始したその直後、1997年に映画監督のフィリップ・ガレルが来日したときのことである。「今年(1997年)2月に映画監督のフィリップ・ガレルが来日したとき、彼は取材に来た日本の映画ジャーナリストたちがドゥブレ法と呼ばれるフランス移民規制法についてどうして質問してこないのか、ひどく不思議がっていた。というより憤慨していた。ちょうど、彼より二まわりくらい若い映画監督が中心になって移民規制法への反対署名を始めていたころの話で、フランス国内では一番ホットな話題だった」。