制作ノート 1



■制作ノート 1
 


君がまだ
コーヒーの味も、紅茶の味も知らなかった子供のころ、

君は大人の使うようなガラスのコップではなく、
色のついたプラスティックのコップで
オレンジジュースを飲んでいた。

君はストローを乗り物だと思っていた。
オレンジジュースを口まで運んでくれるストローのことを。

君が「コーヒーとは苦い飲み物だ」と知ったころ、
字を書くことを覚えはじめた。

君は筆箱からとりだした鉛筆で
幼い字をスラスラと白い紙に書いた。
(当時はなぜかスラスラと字を書けた。)

君は鉛筆を乗り物だと思っていた。
イデアや思いつきを文字に変えて、
べつの世界に連れていってくれる乗り物だと。
(君は色鉛筆でつたない絵を描いたけど、色鉛筆は鉛筆よりも、もっと素敵な乗り物だと感じたし、それにいろんな色を集めた)。

君が、毎朝コーヒーを飲むようになったころ、
ある日、君はギターを弾きたいと思った。
(テレビの音楽番組を観ていて、ギターを弾くのはかっこいいと思ったのだ。)
ギターは最上の乗り物だった。ギターは、
ストローよりも、鉛筆よりも、ずっと遥か遠くに連れていってくれる
乗り物だった。
君は、君の音楽を作るために詩を書いた。
もちろん、曲とは詩を乗せてくれる乗り物だ。
君の思いを乗せて、どこかに連れてゆくゴンドラだった。
君は曲をこしらえた。AmからEへ、EからDmへとコードを乗り換えしながら。
君の沈みがちな心が君の詩によって奪われ、その詩がさらに曲に奪われて、
どこかへ行ってしまうのを少し寂しいことだ考えたが、
それでもいい。
なぜなら、君は人前で君の曲を演奏するのが得意だったし、
それにこれほど楽しいことはなかったから。
そして
乗り物は誰かの心にまで届くようになった。
君は君自身のことをひとつの駅なのだと考えた。
いろんな人が乗り換えしてゆく駅なのだと。
(もちろん駅は港でもよかったし、バスの停留所でもよかった。)

10年たった。
一人の女が君の前にあらわれた。
「あなたの歌をむかしに聴いたことがあるわ」女は静かにそう言った。
君はもう、とっくにギターを弾くのをやめて、ぼんやりと働いているだけだった。ある日、仕事が終わったあと、女と帰り道を一緒にした(君はもちろん、手をにぎるなんてことはしないし、必ず、女の左斜め前を歩くことにしていた)。


小さな交差点のクスリ屋の前で、女が、君のむかしの歌を口ずさんだ。
「暗い詩だけど、いい曲だな。」君はそう思った。
ふりむくと、女はもう、そこにはいなかった。
信号機の乾いた音、夕陽が君の影を長くしていただけだった。

いつからかは忘れてしまったが、とにかく
君はその女を好きになった。

ある夜、君は女を抱いた。
女は、君の乗り物になり、
君は、女の乗り物になった。



*****


ほどよい酩酊状態で、ぼんやりと目的不明のままに、かんがえ事をしながら、ポッと何かが浮かぶ事がある。台詞やメロディ、映像や、何か奇怪な生物の姿が思い浮かぶこともある。それらは特別なものではないし、アイデア以前のものだと思っているが、ひっかかるものもある。どれが出発点なのかはわからないが、その「ポッ」と浮かび上がったものが映画のイメージにつながっていき、映像が映画の一部だったなら、どんなふうになるかという思いめぐらしにつながってゆくこともある。突然だが、ヴェンダースの『さすらい』は好きな映画だ。原題を訳すと『事物の状態』というひどく観念的になるのも殊更におかしい。オーバーオール姿のルディガー・フォーグラーとチンピラ風のスーツをまとったハンス・ツィシュラー、二人の楽しげな姿(どちらもサングラスをかけている)をパッケージにしたヴィデオカセットはとっくになくしてしまったが、MD2枚に渡って、映画の音声だけを録音したものが手元にあり、思い出したように聴くことがある。人生は短い。次の映画をつくろう。(2009-10-30)