近況







ガラス越しの風景
というよりも、
ガラス越しなので「そこは」風景化してしまうということがある

それはなぜだろうか
ひとつに
「そこ」から発せられている音鳴りがガラスによって遮断され
まったく聞こえなくなるということに原因がある
風景が目立つ というよりも、 風景としてあった「そこ」がたんなる「見え=映像」
に化ける

このちがいを説明するのはむずかしい
映像に近い何かと 風景に近い何か を隔てるのは何か といわれてもはっきりしない

有音から無音へと変化する外界 ガラスによって ガラス窓によって

ガラス窓のむこうで
人々が水平移動しているが、あっちからこっちへ こっちからあっちへ 移動しているが
それらは無音で ちょっと浮いている 浮きながら歩いているように見える

外界は無音となったが 対して、こちら側で 店内で 鳴っている音ははっきりと聞こえるのだ
はっきりと聞こえるということがよりはっきりするのだ ガラス窓によって

ゴダールの映画に見られるテンポラルな「ちょっと浮いた感じ」は独特のもので、 
これに言及している文面を見たことがないし 誰からも聞いたことがないのは なぜだろう

ガラスの発明と利用 ここには視線に対する欲望の集中が認められる 見たい というやつだ
逆も言える 見たい一方で 見られたい という欲望の集中を実現するガラス窓でもある





ああ退屈 なにもすることがないわ 雨が降ってきたわね でも大丈夫 ピンキー&ダイアンのお気に入りの傘は持ってきたから カフェオレおかわりしようかしら ボブ・ディランの「コーヒーをもう一杯」? 知ってるわ あの曲暗いわね そう とっても わたし放浪者じゃないんだから 引越ししたいけど そうはいかないわね 放浪者じゃないんだから

ストローの袋をくしゅっってやって、水滴をたらすと袋が伸びる遊びを思い出したわ
もうわたしもおばさんになったのね
だって ストローが紙の袋に入っている時代を知ってるんだから

なんだか 外は楽しそうね ガラス窓の外は