芝居ノート 1



■ 劇団 BIG SMILE 『おいでましぇ おかえりましぇ』



「ありがとうございます!燃えたぎりますっm(_)m 」・・・ある男からメールが届いたのは2009年10月31日の12時08分のことだった。「ありがとうございます!燃えたぎりますっm(_)m」は、僕が「最終(楽日の最終回)に行きます。よろしく。」と午前中にメールを送信した、その返信なのだった。何かを「やる」、その「やる」に対する意欲満々ぶりを表現する際に「燃える」というのも聞あまりかなくなったし、「燃えたぎる」というもの、さらに聞かなくなったからか、僕は「燃えたぎる」、という彼の打ち出した語感にある種の新鮮さをもった。当日は急激に寒くなった日で、道すがらの茶店で、麦酒(小瓶)をグイっとあおり、体をあたため、「いや、しかし、彼ならば、きっと燃えたぎってくれるだろう。しかし「燃えたぎる」とはどういうことなのか?そして、「m(_)m」とは何なのか?」という期待でもない期待とともに店をあとにして、駅はずれの閑散とした商店街を歩いていたのだった。会場につく。受付で3500円を支払ったあと、突如「インフルエンザの感染予防のためにアルコール除菌お願いします。」と受付嬢に言われ、一気にうんざりする。「アルコール?いいです。入っているんで。」とそっけなく小声で告げ、ふと四角いボトルのアルコール除菌剤を見る事も無く見、歩を進める。すぐさまアンケート用紙配り係のお姉さんが現れる。どうせまた大量のゴミチラシも一緒に渡されるのだろうと察知し、あっさりと無視して会場へ。開始予定時刻をやや過ぎたところで暗転。芝居が始まる。



緊密な構成とシンプルな舞台装置。構成上、回想形式をとっており、原則的に2パターンの舞台装置ですすめられる。ひとつ、現在時制は暗幕がおりている状態で、最小限の照明下にステッキをついた初老の紳士と匿名の無個性なリクルートスーツ姿のOLが舞台袖にあらわれ、二人の対話のもとで初老の紳士が過去を回想してゆく。この会話が20分おきくらいに断続的に挿入され、1時間40分の舞台全体のリズムを統御している。ふたつ、暗幕が上がるとメインの舞台装置。高度経済成長期の日本の片隅、湘南の小さなガラス工場の事務所内に変わる。色彩構成への配慮が見られる。全体的にクリーム色や黄色、白を基調とし、家具も木製のもので整えられている。壁には修学旅行先で売っているような二等辺三角形のペナント。ペナントはしっかりと壁に貼られているのではなく、先っぽがたらんと垂れているので、「これはペナントである」という指示作用からは逃れている。かつて社員旅行でも行ったのだろう、しかし、旅先で誰が買い、誰が壁に貼付けたのかはまったくもって問題ではないようだ。(たらんと垂れ下がっているという小道具の演出は、ガラス工場の経営が困難になっている、またはこれからますますひどくなってゆく、つまり高度経済成長は<必ず終わる>という暗示なのだろうか。)暖色でととのえられた空間のなかで、この原色の緑のペナントだけが浮いているように見える。つまり、視覚的なアクセントがここに置くように求められている。確かに、ペナントの緑があるだけで、見た目が引き締まって見える。



ガラス工場をオートメーション化するにあたって、あたらしい機械を導入するか否かで社長と社員がもめる、というのが物語のフレームだ。ただ奇数日と偶数日によって社長が変わるため、話もなかなか進まない。ガラスの灰皿を喫茶店主に提供している「作家より」のガラス職人が、オートメーション化に猛烈に反対する一方で、敏腕な営業マンは、黒字成長の見込みをたて、借金をかかえてでも機械を導入するべきだと主張する。ところで、ガラス職人と営業マンは高校の野球部以来の仲だ。営業マンがピッチャー、作家がキャッチャーを担当していた。県大会の準決勝まで行った野球部で、お互いのミス(ワイルドピッチや、パスボールなど)なども詳細に覚えており、互いの喧嘩上で、過去のミスが俎上にのぼるほど二人は同じ記憶を共有している。そして二人は必ず同じ女を好きになってしまう、というのが特徴で、現在なおもって続く三角関係がガラス工場の行く末を占う鍵となってくる。



台本はしっかりしていたし、役者陣の演技も安定していた。主演の女性(山野はるみ・・現在ヤキソバのCMに出ているようだ)の衣裳もよかったし、まずまず楽しめた。ただ「コメディ」と謳っているにもかかわらず、笑える要素が少なかったのが残念だった。



個人的に、(断続的に)芝居を観るようになってきているが、「前半の15分でなんとか観客を惹き付ける」というある種の「義務」と「笑い」を結びつけるルーティンはどうにかならないものか、と、常々思う。冒頭の20分くらい、さし入れの饅頭の配分をめぐってライトタッチのコントが展開されるのだが、そのシーンに配置された下っ端の社員二人の演出はいかがなものか。たしかに大声を張り上げれば、眠い目も開く、ドタバタ走り回れば、観てやろうじゃねえかっ!、という気持ちにもなる。しかし、そこで僕はがっくりし、「あ〜あ、またか。」と漏らしてしまう方だ。「大声を張り上げる=テンションが高い=良い」という祖末な短絡の元凶は「4時ですよ〜だ」時代(1986〜88あたりか)のダウンタウンの浜田にあると思うが、時代設定が高度経済成長期なのだから、ルーティンギャグも、むしろパイ投げ、あるいはパイ投げのアレンジくらいで済ませておけばよかったのではないか(「今更パイ投げかよ〜、でも肉眼で実際見てみるとけっこう面白いな」)。そして、きつい言い方をすると「レトリックで笑わす(<マー間>を緻密に構造化してゆく)」という技術がないから、「ガサツな演出よる祖末な笑い」に暴走してしまうのではないか。これには、どうもいまいち乗れないし、やってる方も煮え切らないのではないか。



舞台が終わる。「出演者が会場を周りますので〜。」との会場アナウンスが入る。会場がガヤガヤしだし、主演の男もファンサービスで忙しいだろう、と気を使い、(それに別場所で私用があったので)そそくさと会場をあとにする。外はもう夜だ。風がブオブオ吹きすさび、木の葉が揺れている。それにしても寒い、ギャグも寒けりゃ、外も寒い。と、寒いギャグを思いついた頃、主演男から電話。「あれ?今どこですか?」(2009-11-05