もう、カシオレは飲まない。



■ もう、カシオレは飲まない。





・・・カシオレって、カタカナで書かれると妙な感じがするな。最近、たまに寄る日本橋アイリッシュ・パブのメニューには、ちゃんと、「カシスオレンジ」って書いてあるのにな。・・・彼女はクレープの生地をおおきなフライパンで焼きながらそう思った。



・・・それはそうと、あたしが、焼き鳥デビューしたのはちょうど二十歳の頃。大学の軽音楽部のプログレッシヴ・ロックが好きな冴えない先輩に連れられて、行った。それまでは、ファーストフード、カフェ、ファミリーレストランしか行ったことがなかった。あたしの父親は、仕事帰りに焼き鳥屋で呑んで帰ってくることがたまにあって、背広についた焼き鳥の匂いと、父親の匂いが入り混じった、なんともいえない匂いを覚えている。15の時だった。英語の授業が好きだったあたしは、「焼き鳥」を和英の辞書で調べたら「グリルド・チキン」って書いてあって、「グリルド・チキン?いいじゃん。いいね、グリルド・チキン。」と一瞬、胸をわくわくさせたことがあった。いつか焼き鳥屋に行ってみたいと思った。





そういえば、はじめて焼き鳥屋に連れてってくれたのは彼だった。つきあい始めのころにはずいぶん焼き鳥屋に行ったものだ。安っぽい店内で、チェーン店風のどこにでもありそうな焼き鳥屋だった。二人ともお金がなかったのだ。彼は「飲もうよ、飲もうよ、」とお酒をすすめてきたけど、あたしは、まったく飲めなかったし、飲みたいとも思わなかった。それに、のんべえの父親の風袋を知っていて、「おい、一緒に飲もう。お前も、もう大人なんだからな。」と誘ってきたときも、「いいよ。」とそつなく断った。父親は意味不明の怒りをあらわにした。しばらく風当たりが強かった。他にも原因があったのもかもしれない。たとえば、あたしに彼氏ができたこととか。たとえば、あたしが、あたしのお気に入りのパンプスやスニーカーで、玄関の靴箱のすべてを占領してしまったこととか。





ビールや焼酎が飲めなくて、というよりも飲んだことがなくて、ともだちやみんながよく注文しているという理由だけで、「カシスオレンジ」と、あたしよりも可愛くて若そうな店員に言ったら、彼は「カシオレ?おまえ焼き鳥屋でカシオレはないだろ?」と怪訝な顔をした。「いいじゃん、なに飲んだって。」




彼から今日、ひさびさのメールが来た。件名は「もう絵文字は使わない」というものだ。絵文字を多用していた彼は、「もう絵文字は使わない」というメッセージを絵文字をふんだんに取り入れて送ってきた。彼がなぜこの絵文字を選んだのか?光や、動物、食べ物、記号、カラフルな、目を近づけないとよく判明できない、5ミリ四方の絵文字たち。なんだろう、これは、なんで、この文章で、これなんだろう??・・・そんなことを思い巡らすのも、これで最後になるのだろう。・・・彼はいま40歳、あたしは、もう38歳。つきあって、18年にもなるのに、まだ結婚していない。二人でクレープを焼いたことなんて、ない。ちょっとだらしないおばさんと、まったく立派ではないおっさんだ。あたしにはボーイフレンドがいるし、彼にもガールフレンドがいる。それをお互い知っていて、それで、あたしたちの関係が長続きしているようなものだ。・・・メールの文面はたいしたことはない。そこには「もう、絵文字を使える歳ではない、なくなった」という彼の思いがわずか2行でつづられていたが、そんなことよりも、文章の末尾になぜか「カシオレ」のことが15行も使って書かれていたことが気になった。





「カシスは赤紫、オレンジは橙、ふたつをグラスに入れると、カシスの方が重くって、下に沈んでしまう。テキーラ・サンライズと同じだ。テキーラ?メキシコ?ああ南米の朝焼けよ、朝焼けよ、朝が焼けても、やきもち焼けぬ、もちは焼けても焼け石に水。で、カシオレとは、とどのつまりが濁り紫。濁った紫、これが不思議なんだ。高貴と野蛮の濁り紫。ないまぜの色。カシオレ、カシオレ、またカシオレか。おまえは。・・・濁った紫なんてこの世にあるものか。なぜ、おまえはカシオレばかり注文するのだ。女子高生じゃあるまいし。」





カシオレ、についての続きの文面をここで書くことはできない。彼とあたしのあいだにはカシオレについての記憶がいくつかあり、そのなかでも、忘れがたい、顔から火が出そうな恥ずかしい「カシオレ事件」があるのだ。ただ、あたしも、彼が決意したように、決意しよう、と思う。「もう、カシオレは飲まない」と。・・・クレープは、もう食べる気がなくなって、生地だけ食べて、満足してしまいそうだ。と、いうよりも、焦げすぎてしまった。でも、いい香りがする。焼き鳥のにおいじゃないけど。