サンマからの気づき




■ サンマからの気づき





孤愁の味と言われるサンマではあるが、マリネにすると、そうではなくなる。むかし、その作り方を歳上の喫茶店主(思い出せば、あの、オオヤミノル氏だ!)に教わって以来、ほぼ毎年マリネを作っている。が、なかなか上達せず、美味しいと感じる年もあればそうでない年もある。今年はまずまずだった。皮の面を半焼きにしたのがよかったのかもしれない。10月頭にマリネも食べ終えて、しばらく食べなかったが、今日灰干ししたものを焼いて食べた。秋刀魚の味だ。それに刀というだけあって、細長い。何も切れない、切られっぱなしのサンマではあるが。



小説家の佐藤春夫谷崎潤一郎の奥さんに惚れていた。谷崎から邪険にあつかわれていたその女へ同情を寄せた。そして同情から恋情に至る変化。恋情から愛情へ。「秋刀魚の歌」という佐藤春夫の歌(絶唱)を知っている人も多いだろうと思うので、説明は省くが、いつだったか、この歌を高校同級のキタオカが馬鹿話に割入って、教えてくれたのだった。ほんの2年前の帰省時のことだったか、しかし、どうしてこの歌の話がでてきたのかは忘れてしまった。




「サンマは苦いかしょっぱいか、レモン絞るはどこの習いか」




というよく知られた一節。味覚と色彩が一気に編集-圧縮され、「サンマ=サンマの味」という惰性慣性に変化をもたらす。とらえがたいものをとらえようとするあまり、一般サンマの味を固有サンマの味として見直すことが必要となる。目は欺かれるが、舌は欺かれない。舌は目よりも正直であり、目が拡散すればそれだけ味の固有の輪郭が際立つ。味の成分は気分(非味覚的気分)に包囲されるが、包囲されるだけであって、味は味のままで変わらない。この「屈折した不変」に強度が最充填され、この強さにたいして言葉でもがいてみせるのが、小説家たる佐藤春夫だったのだろうか。