日本水準原点




日本水準原点



神奈川県三浦半島の南西端。その場所には東京の、ひいては日本の海抜0メートルを計測しているポイント、油壺験湖場がある。そこでおこなわれている海抜の変動監視は、もともと第二次大戦中、陸軍の測量部を母体にもつ国土地理院が取り仕切っているというのだから、もともと自衛的(自国防衛的)なシステムであるにはちがいない。現在はGPSによる定点観測もおこなわれている。しかし、定点は定点ではありえない。定点は移動する。



例の東日本大震災の影響、地殻変動によって2、4センチ海抜が上昇したということだが、そのため日本の国土はやや狭くなった。また水平的なズレも発生したので、むかしの地図は有効ではなくなった。但し書きをつけた改訂版がもうすぐ出回るはずである。



さて、三浦半島の海抜ゼロのポイントと都内のゼロポイントを対応させるために設置されてあるのが、国会議事堂前、憲政会館の庭園内にある日本水準原点(永田町1−1)である。(ちなみにこの庭園はめずらしく喫煙可であり、今ではもう見られなくなった古風なタイプの公衆用灰皿がところどころに設置されている)



1891年、明治24年に設置されたこの日本水準原点は、5メートル四方くらいの立方体のローマ建築風の建造物の中にある。(玄関部にあたる板碑にはしっかり菊の御紋が彫り付けられてある)。そして原点には水晶版がとりつけられ、水晶版の目盛りから24、3メートル垂直下がちょうど海抜0メートルに対応するようになっている。



だが、水準は水準でありえず、定点は定点ではありえない。関東大震災時、東北大震災時に、水準原点が移動している。こういった知識は、それ自体は無害であり、直接何かの役にたつわけでもないが、先日記したように、「つなげる、つながる」という諸幻想の基底には、フィジカルな意味でのリンク・デバイスが、強固な法のもとで守備/管理されている。リンク・デバイスこそがセーフティ・デバイスだと思われているためである。リテラルな意味でのアナーキズム(政府なしで、やっていくサヴァイバル)は、こういう幻想をただちに粉々にする。自律あっての他律。



水準原点は一定の意味で、たしかに国民および国民としての建築施工業者間をつなげているし、旧来的なネーション・ステイト(国民国家)の形成幻想に一役買っている。(富士山は日本一の山。は、物理的事実だが、日本一の山だから素晴らしい。という因果関係には実は連続性はない。物理とイデア、この個別に分離した系列を結びつける装置の幻想性があるだけだ。)