赤坂、ナイフで刺される/ブラッド・ドゥネーションの起源


■赤坂、ナイフで刺される/ブラッド・ドゥネーションの起源




アメリカ大使館は、赤坂見附の交差点から外堀通りを南下し、特許庁あたりを右手に曲がったところにある(港区赤坂1−10−5)。1964年3月24日、この大使館の裏手にあるロビー前で、精神分裂病患者(今でいう総合失調症患者)の青年に太ももを刺され、大量出血したのがライシャワー駐日大使であった。



ライシャワーは、第二次大戦中、極東情報局の任務(日本語の翻訳や暗号解読のための学校設立など)についていたが、京都の原爆投下回避に一役買った人物であることは、京都と東京の戦争の痕跡を調べながら、『レッド・レッド・リバー2』を撮影したころに知った。(京都には3箇所爆撃された場所があり、そういうところを撮影しに行った)。





数年前のこと、ある日、献血された血のゆくえ、ということが気になった。渋谷のスクランブル、ロクシタンが入っているビルからほんの10メートル先に献血ルームがあり、そのあたりではタバコが吸える。吸いながら、採血後の血の流れはいったいどこにいくのだろうか、近現代世界史の矛盾の集積地でもあるルワンダ、トルコ、アフガニスタンなどの無名の戦士の負傷にも血の捧げがあるのだろうか、そういう戦場にも運搬されてゆくのだろうか、と、ぼんやり考えていたことがあった。





日本で献血がはじまったのはライシャワー事件後のことである。が、売血による輸血だったため、持病の肝炎がエスカレートしてしまい、しだいに社会問題に発展し、医療問題として売血がクローズアップされた。





売血、とは文字通り血を売ることだが、血を売ることでしか、金銭を得ることできなかった底辺層がいて、彼らは血量を増やすために、酒を呑んだ。酒を呑むと血が高く売れる。そのためにまた酒を呑む、という悪循環がここにあった。「タコ部屋」という表現は、まっかっかに腫れた体、文字通り、タコのように赤く腫れあがった底辺層がたむろしていた貧民窟のことだった。こういうことは学生のときに習ったと思うが、それははっきりとは思い出せない。