来客2人、そして・・・




■ 来客2人、そして・・・





どうやら、最近は「観念と概念のちがい」とか「観念が概念に先行するのはどうしてか?」とか「映画作品(表象)は概念に属性を持ち、映画制作(表象以前)は観念に属性を持つ」とか、ようするに「観念と概念」を中心軸にしてにわたしの頭脳生活はめぐっているようだ。超越論的映画術。何を隠そう、映写技師をやっていたころは、映写室で哲学書ばかり読んでいた。ようするに私はサボタージュのプロだった。そこで得た結論は「哲学は病気である。そこがすばらしい。」ということだ。今でも、まったく素晴らしい。前向きに素晴らしいのだ。





そんなわけで来客二人。絶世の美女ではないが、路地裏の美女。「え??なんで、コルトレーン巷でそんなに流行ってんの?」という小驚が再発。「そうだ、京都へ行こう」のCMで使われているんだって???。完全商業音楽じゃん。だめすよ。そんなことしちゃあ。ブラッド・ウルマーくらいでいいんだよ。京都は(笑)。たしかに「京都ってJAZZ&共産党都市ですよね〜」とは、なんどとなく、外部の人に指摘されてきた。





で、江戸の路地裏の美女。悩み多き年頃か、なんだろう。ぼくができるのは、君にスタン・ゲッツを聞かせて、というのも明るくもなく暗くもないゲッツの曲、それに「決してすぐに覚えることのできないゲッツの旋律」を聞かせて、7月の仙川のJAZZのイヴェントに誘うことだった。病気の水玉に「アート」を感じている暇はない。健全な「模様」なんてのはない。すべての「アート」は健康である。だが、すべての「模様」は病気である。「線」こそが健康である。単純な、なんでもない「線」こそが。





で、彼女たちの手際のよい料理。トマト、きのこ、牛肉のシチュー(キャンプ料理)や、アヴォガドとまぐろの和え物をちゃっちゃっと作ってくだすった。EARTH WIND &FIRE、OHIO PLAYERSなど、聴きまくっているうちに、ひとりは酔っ払って入眠。ブランデー、焼酎、日本酒、ウォッカ&グレープ、ビア、などちゃんぽんに並べて、一人は批評、あるいは仮死の祭典状態。ブラック・ホールにも虹が架かる。すべての観念をすべての概念に先行させよ。