ここ最近、たまに寄る店で、24歳の青年としゃべっていたが、それ自体は喜ばしいことだ。彼は成功したいようだが、空疎な発言だと思った。



手がきれいだと誉められたが、それは悪くはない。



髪型はボサボサだといわれたが、しかたがない。



先日散髪に行ったはずである。


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広告世界。成功するための秘訣、とか、気に入られるためのナントカ・・・とか、彼氏(彼女)の本音を見抜く・・・とか、ネット環境、非ネット環境問わず、そういうPR文面であふれかえっていて、見たくもないのに視野に入ってしまうが、慎重に捉え、冷静に観察すべきだろう。そういうものに飛びつく人は、決まって、自分の意見を持っていない人であり、なおかつ宗教的人物、信心深い人である。要するに心理的弱者である。「成功する人は常に●●をやっている・・・・」とかを本気で読む人は合理的に成功したい人であり、それに過ぎない人々なのだろうが、それらのトピックを読んで欲しいと願う側が、成功できていない人々の疎外感を想像的に作ってしまう、心理を一時的に略奪してしまう、ということを互いが理性的に念頭に置いているはずはない。相互に想像的に利用しあっているという非現実的な心理戦術を認めざるをえないだろう。そういうことをごく平均的にいって、10代半ばから見抜かねばならないだろう。それに比べてYOU TUBEの動画は無害でよいと思う。非言語的であることは、コンテキストによっては十分良いことでありうる。






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可能から連絡があったが、彼は一週間以内に来るだろう。




16時頃から4時間くらいかけて、村山知義の画集を熟見していたが、私はやはり舞台装置の模型が一番好きである。



二次元と三次元の同時成立性に関して、少し考えたが、トム・ウェッセルマンの作品を参照していた。(東京現代美術館でウェッセルマンの作品を見た。)



ステラやウェッセルマンのシェイプド・キャンバスによる三次元化欲求の本意は明確にはわからないが、二次元に飽きて、三次元に至るという経路とは別に考察しなければならないだろう。



それは村山知義のケースともちがう。



舞台設計のための二次元図面は、三次元の模型をつくり、結果大道具の人たちによって、舞台上に設営される物質になるだろうものとして、ドロウイングされていたのである。




それらの図面と模型の写真と舞台の写真を同一平面で見ることは、ある種の心地よさをもたらす。




村山知義はMAVOを作った当時のことを「若年期のニヒリズム」として反省している。



過去の歴史を参照しない、ということは、ある時代に特徴的に見られることかもしれない。1920年代の「切断」は過度にその傾向が見られる。



心霊主義の起こりは19世紀イギリスのヴィクトリア朝時代に顕著に見られるが、1920年代にもあったと思われる。それはしかし、水面下での出来事であった。「アンドレ・ブルトン神秘主義」には関心はもてない。




純粋理性批判』は寝付け薬として読んでいるが、「比喩があまりにも少なすぎる」ということが気になる。




結局、20年代の前衛芸術家たちが、過去からの「切断」といった場合に、過去を引用したり、過去を参照している時点で、その行為自体を否定的なものとしてとらえ、いわば過去を積極的に無視すべきものとして捉えたのだろう、と考えた。その原因はまだ考察できていない。



だが、村山知義は、「セザンヌゴッホが当時は受け入れられなかった」という話はしているし、ミケランジェロにいたっては、彼の偉業を戯曲化までしている。



しかし、積極的な評価ではないと思われる。ミケランジェロはいかに苦労したか、という話に終始している。




村山知義は忙しすぎたと思う。




婦人之友』という雑誌は羽仁もと子がつくったのだろう。母親が読んでいたのを覚えている。



枕は購入したが、それは流行りの低反発枕ではない。素材表示が「ウレタン」で、直感的に駄目だ、ということになった。




ヨーグルトにあれこれのフルーツを切ったものを入れて食べた。これから整腸管理は必須である。私は腸が弱く、気圧の変化に敏感なのである。



先日の日記で『新しい土』と書いたが『新しき土』のまちがいだった。