BALL&CHAIN 9




昨日が春一番だったので、今日は春二番。続行する強風。真夏の夕立ちのカタルシスにまでにはいたらないが、日なが年がら染みついたちっけた残滓を一気に吹き飛ばし、完璧なドライを志向させ、テメエをリセットせよ、と促す強靭な天空モーターだ。巻き込まれよう、と、じっさい強風に煽られ、ちょっとした浮遊感を感知できるのはまたとない異体験。フワっ、いっそのこと飛ばされてしまえ!とジャンプしたが、すぐに着地してしまい、風に失望した子供もたくさんいたことだろう。いないか。




昨日にひきつづき14時から15時半までの90分、シャルル・ド・ゴール・コーヒーにて集中執筆。昨日は想像的人工物、(いうなればカフカの小説に出てくるオドラーテックのような)のアイデアを実際に三次元物体として制作するという、そのアイデア、プランニング、などをすすめたが、今日はさらに初心回帰して、絵コンテを再開しはじめた。コンテは過去に撮影した分だけは描いていたが、それは全体の半分にも満たない。途中から理詰めで考えているうちに、混沌としてきた。混沌きわまれり諸念をいったんリニアな次元に放り込むため、映画には最初があり、終わりがあるということを再確認するためのコンテ再開だ。スタート地点から加算して229秒分のコンテを描いたが、とりあえず33コマ分描きいれた。・・・前衛娯楽メタフィクション、としかいいようがない。前衛、娯楽、メタ、フィクション、どれもこれも一応のキイ・モメント。前衛に関してはコンスタントに付き合っている。娯楽となると、娯楽という観念がいらないほど、産業資本が娯楽を強制していることに痒い苛立ちを覚えるだけで、まずはそれを主観的にしか享楽できないだろう、まずはテメエがテメエなりに楽しめばいいのだ。・・・そしてメタ、という概念は、やはりメタ・フィジックスのメタとなるが、いまさらアリストテレスを読みなおすのも気後れする、覚えている範囲で、バーセルミ、ピンチョンを咀嚼し直すか、いや、そうではない、これはまずはリファーなしで取り組むのがよかろう。フィクション、これはもはやフィクションという語が疲弊に疲弊を重ねていて、なんら新鮮味がない。作り話、というニュアンスで十分だろう。





アサリを買ってきたので、蒸しあげるか、ボンゴレでもつくろうかと、なべをにらんでいたが、味噌汁に入れた。ぐにゅっ、にゅにゅっと、という食感。赤、白、どちらも用意して、桃色の葡萄酒をゆるやかに満喫する。へべれけって、ピアノにがくん、と寄りかかった。