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集合論で重要なのは「パワーセット」という概念である。それは「力集合」のことであり、力の組み合わせ理論のことである。端的に言って、「定食」なる概念はパワーセット志向によるものだが、「ごはん、おかず、香物、汁物、」と、固定セット化しすぎている傾向があり、あまり面白くはないし保守的である。私はほんのたまにマクドナルドやその他の店のセットメニューを注文して、つぶさに観察しているが、セットのセット性とは<量=力>という軸から<味=力>という軸へと顕著に移行しはじめているのがここ5年くらいの傾向である。量よりも味を優先するというトレンドに対する需要と受容は自明であり、それは消費者の欲求にかなっている、ということだろう。フード写真によってフードそのものの質量が欺かれているのは、それを「味のよさ」で補填するためであろう。映画を数学的かつ経済学的に捉えると、「パワーセット」なる概念を参照することも容易に想像できうるし、他の芸術にかんしてもそうだろう。絵画における「アッサンブラージュ」などもある種の定食性が顕著に出ているのではないだろうか。ラウシェンバーグ




午後から可能がやってきて、そしてお土産のマッコリを飲んだ。



午前中に発覚し、驚愕したことだが、近所の神社がとうとう、終焉を迎えた。



この写真は、1ヶ月ほどまえに撮ったものだが、鳥居の脚の片方が壊れてきたのだ。



可能とは1年半ぶりに会ったので、少し懐かしいという気がしたが。



めがねのフレームが変化しており、想像以上には太っていなかった。



私が可能を殴ったことが、彼には思い出せず、詳細に説明すると、彼は納得した。可能が鍵を紛失して、夜中の1時あたりに表戸を大音量でがんがんやったということだ。




私はそれを許せなかったということである。



彼が酒乱だということは少し言いすぎかもしれないが。


郵便物の5割が、出版社からの雑誌で、彼は置いていったが、98パーセント読む気がない。



さっきパラパラと目を通したところ1ページだけ気になるところがあり、ページをちぎり、そしてその他は24歳の若者、その他に横流しすることにした。



思い出したが、古川日出男が好きののはさつきさんだった。向井秀徳が好きなので、それは必然だろう。だが、わたしにはほぼ関係ないことである。



古川日出男はオレのことをどうも好きらしい」と可能は言っていたが、そんなことはわたしの知ったことではないし、古川日出男にまったく興味がない。




わたしが現代日本文学で面白いと感じたのは鹿島田真紀の『6000度の愛』『白バラ四姉妹殺人事件』と島田雅彦の『天国が降ってくる』『夢使い』くらいである。村上龍の『69』も読んだが、あれは小説ではないと思った。ろくに読んでいないし、読まなくていいだろう。



武田君にはむかし賞をとるまえの西村賢太横流ししたが、彼は気に入っていたようだ。




可能とは精神病院の話をしたが、よくよく顧みると、精神病のプロブレマティークも興味深いのではないかと思う。





中井久夫の『分裂病と人類』は傑作である。が、ヴェルニケやシャルコーも参照した上での話だろう。ジャネは一昨年やっとのことで邦訳が出たが、私は読んでいない。





私が京都に住んでいたころは北区の深泥ヶ池の北側にある精神病院が日本で最初の精神病院だと知らされていた。




可能がいうには世田谷区の八幡山にある松沢病院が日本発の精神病院である。




真黄色の自家用車がなぜないかというと、そのむかし精神病患者が運ばれる車が真黄色の車だったから、それらの混同を避けるためだと、清水さんに聞いたことがあり、それは松沢病院が推進していたということだった。



清水さんはやさしいおばさんだったし、とてもお世話になった。



松沢病院の近くには大宅荘一文庫があるが、ここは私設図書館であり、入館料がいるが、資料は豊富だそうだ。



だが、国会図書館の雑誌課の方が量的には遥かに多いだろう。



松沢病院の脇に騒音測定装置が設置してあるが、私はその前で叫んだことがあり、ちゃんとdb(デジベル)表示されたように記憶する。




わたしは社会福祉学科に在籍し、精神障害者身体障害者、その他、心の病を持つ人々についての研究もしていたし、ボランティアもしていた。そして匙を投げて中退したが、辞めた理由を彼には言っていなかったと思ったので彼にそれを言ったのだが。



可能のコメントを聞いたが、私が辞めたケースは、一般的に妥当するらしい。



京大の近く(元田中あたりか)にある聴覚障害者の施設に実習に行っていたが、職員が理にかなわないことを言ってきたのである。当時障害者は1級から6級までランクづけされており、わたしは重度の障害者の方が興味深く思っていたので、それで、彼ら、彼女らをかまっていた(戯れていた)のである。



現在は1級から3級に変更されたようだが、内実は不明である。



ところが、担当職員はなぜ、わたしが重度の障害者ばかりをかまうのか、不思議がっていたようである。



口論したのはそれが直接的なきっかけだが、大学のゼミの女性が途中で介入してきて、そして、話はややこしくなったような気がする。



可能に言わせると、施設に大学生が研修に行って、理不尽な思いをするということは多々あるということだ。精神的に耐えられなくなる人もたくさんいるが、私の場合はそうではない。





わたしも理不尽な思いをしたが、しかし辞めて後悔はしていない。辞めることを決めた原因はもうひとつあるが、それは非常にポジティヴなものだった。




彼がなぜソーシャルワーカーの資格を取り、精神病院に勤務しているのかは、私には100パーセントは、理解できない。



患者さんは、アル中、統合失調症、などが多いと言っていた。



アル中の心性はわからないでもないが、わたしが気になっているのは前頭葉の突出が顕著でありすぎ、そして、頭の頂点部が異常に出てきているのが気になるということで、物理的なことである。わたしはある人に「バゼドー氏病」ではないかと言われたことがあるが、これは眼球が飛び出てくる病気らしい。




しかし、薬物等はさまざまな意味で危険であるし、「薬物=外部連結メディア」という自覚がなければ即効わたしも病院送りだろうという気がする。





大学当時の私はニーチェバタイユがアイドルであり、とくにニーチェの『道徳の系譜』にはいたく感銘を受けていたので、福祉学科を辞めるのは必然だったろう。だが、本の趣味などは、あまり周囲の人は知らなかったと思う。




瀬田の大学図書館に映像資料として、ズビグニュー・リュプチャンスキーの『四次元』のレーザーディスクを入れろと言ったのは私である。



松田さんという男がいて、彼が山口昌哉に師事していたことを思い出した。



私はサイエンス・サークルにも出入りしていたが、科学信仰はなかった。



だが最先端の科学技術開発は福祉というイデオロギーに依存していることを、当時からわたしは見抜いていた。



実際、ヴァーチュアル・リアリティ(たとえばデータ・グローブ)の技術は障害者のために開発されていたのだった。




社会学部と理工学部しかないキャンバスだったが、それはそれでよかった。ごちゃごちゃしていないし、すっきりした空間だった。




私は当時、過度の女好きだったように思うが、今はそうではないと思われる。




可能と最初会ったのはカフェ・オパールの小川君の紹介においてであったと思うが。




しかし、わたしはカフェは嫌いであるし、日本においてはあまり好ましくはない文化だと思う。実際カフェ・オパールしかカフェらしき場所は知らない。





厳密に言って、東京では自らすすんでカフェに入ったことがない。ドトールエクセルシオールはあるが、どちらもわたしは嫌いである。





コーヒーで酔えないのは自明である。





駅前のシャノワール(シャット・ノワール・・・黒猫)がつぶれて以来は、わたしは自分の部屋でコーヒーを飲むほうが好ましく思える。人の視線が気になってしかたがないのかもしれない。





オパールの店主、小川ケンタロウと、可能とは灘校で同級だったが、私は普通の公立であり、やはり、そもそもの知能からしてちがうようにも思えるが。




そんなことより、近所の神社が壊滅してしまったほうがショックであり、痛手である。





43才の男二人が平日の昼間からマッコリを飲んで、精神病院や精神病について語っているというのもおかしな話である。





私がすこし前にアルコール依存症の治療に行っていた病院とは別の場所だが、つつじヶ丘には全国でもわりと著名な精神病院がある。(患者さんが例のミニストップというコンビニのミニ休憩コーナーでたむろしていて、その光景は日常的である)。可能によるとそこの副医院長は愛人を殺害してしまったということだ。4年前の話だが、われわれはそのことにまったく気づかなかった。






杉村昌昭さんはラカンがいかにスケベ男だったかを語っていたが、それは「治療の一環だった」と留保をつけていた。





ニコラ・フィリベールの『すべての些細な事柄』のパンフでは、杉村さんが評論を寄せていたし、ゴダールが献辞を寄せていたが、可能に見せたところ、興味はないといった風情だった。



フェリックス・ガタリが勤務していた精神病院「ラ・ボルド」のドキュメンタリーである。




私は『音のない世界で』よりも面白いと感じたが。




私は聴覚障害者の施設で点字本の製本過程を見学させてもらったことを今思い出した。それに京都御所の南側にある義足製造工場ではビデオで撮影させてもらったことを覚えているが、それらは大学の授業とは関係ないことで、私は友人を誘うことなく、一人で行動していた。当時も今も単独行動が好きなのだろうか。



証明写真は通例だが、証明音声がないのは視覚中心主義のあらわれだろう。



管理社会がエスカレートすると証明音声なるカテゴリーが出現するかもしれない、と、今思っただけだが。




わたしも女性を苦しめたことはあるだろうし、手を出さなければよかった、ということも往々にしてあるだろう。




だが、彼女たちがいつまでも幸福であるように願っている、とか言うと、嘘くさいので撤回する。



とりとめがないので、今日は終わりにする。