映画ノート 17


■ ロジャー・スポティスウッド 『刑事ジョー ママにお手上げ』 1992  その2






まずは下の3つの写真をじっくり眺めて欲しい。


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これらの写真を眺めて、「あー、そうそう、そうだったんだよね〜。」と首肯できる人は、1976年以降のアメリカ拳銃映画とアメリカ社会の関係についてかなり詳しい人だ。


この3人には関連がある。


1976年、コネチカット州、まず2の男が1の女に憧れた。当時14歳の1はとある映画のなかで12歳の娼婦役をこなしていた。厳密には「映画の中の1」に2は憧れたのである。2の憧れは、パラノイア的なもので、健全な恋愛ではなかった。後年、1がイエール大学に入学したころ、2は1の自宅に押しかけ、異常行為をくりかえした。ラブレターを玄関のドア下に差し込んだり、電話をかけたりしていたのだ。


1981年、ワシントン州、2は1の気を引こうと、旅客機のハイジャックや自殺計画を立てる。しかし計画はいつのまにかレーガン大統領暗殺に向かった。弾はレーガンに命中することなく、レーガンの報道官を担当していたジェイムズ・ブレイディに命中したのだ。2は即刻逮捕されたが、精神異常者だとみなされ、免罪されている。2は、報道メディアのインタビューに応じてこう言った。「1976年に見た映画女優1に憧れ、その1と同等の位置に立つために、レーガンを殺そうと思った。」と。そして、暗殺未遂から12年後、この事件を受けて、1993年、若年層の銃所持を規制する(適正化する)ブレイディ法が制定された。


ところが、はやくもブレイディ法に抵抗しようとする団体が現れた。「人を殺すのは人であって銃ではない」というスローガンを掲げるNRA、全米ライフル協会(National Rifle Association)である。銃規制を目的として法律化されたブレイディ法が、すぐさま銃を持つ自由を目的化する団体NRAの反発−抵抗にあう。1871年、前述のスローガンを掲げて設立されたこの団体は、400万人の会員を持ち、現在に至っているが、注目すべきは、多くの映画人がこの団体に関与していることである。現在の会長を務めるのは映画製作者、監督のチャック・ノリス(彼の映画デビューは1968年、なんとジョン・ウェイン監督の『グリーンベレー』だ。)、2004年にブレイディ法に圧力をかけ、失効させた際の会長は、セシル・B・デミル監督の『十戒』(1956)でモーゼ役、有名どころでは『ベン・ハー』(1959)の主演をこなした俳優のチャールトン・ヘストンである。1998年に会長就任した彼のモットーは「武装する権利擁護」の一点張りだったが、2002年、マイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』内、銃所持に関する監督の批判的なコメントをもとにしたインタービューに応じていた際、途中で姿をくらませてしまった。NRAとKKKの関連を問われてのことだった。



さて、「1976年以降のアメリカ拳銃社会」とは、ある意味で「映画」の副産物である、ということに気づいてもらえただろうか。

単純に「拳銃=物質」がまずあって、「アメリカ社会」があるのではない。事態を構造的に見たほうがいい。まず「拳銃=映像」、つまり「アメリカ拳銃映画」がある。それを鑑賞した者が(映画表象の効果のもとで)「拳銃=物質」を所有しようとする。そこで事件(出来事)が起こる。事件こそが「銃規制」をもたらすのだが、規制を抑圧、失効させ、銃所持を擁護しようとするのも、NRAの会長や会員、つまり「アメリカ拳銃映画史」に付着した「顔」なのである。

この悪循環サイクルを「アメリカ社会の病理」として止揚するのは即断にすぎるだろうか。近年のオバマ大統領は銃所持には反対表明を示しているが、実際に制度化したところ、「銃がもう市場に出回らないとして」銃需要が急激に高まり、「オバマ景気」を生んだそうだ。生産が追いつかないほどだったらしい。



写真に戻ろう。2、つまりレーガン大統領暗殺未遂者はジョン・ヒンクリー。1、つまりジョンが憧れた女優はジョディ・フォスター。彼女が12歳の娼婦役を演じた映画は『タクシー・ドライバー』。3は映画俳優、および全米ライフル協会会長をつとめたチャールトン・ヘストンである。



以上、少々乱暴な図式化かもしれないが、映画に包囲される現代社会、イメージ先行的な現代社会を再考察する例証にでもなるかと思い記述した。『刑事ジョー ママにお手上げ』を見た甲斐はあった。


以下、上記記載の事項を中心に年表にまとめておきます。

1871  「全米ライフル協会」設立  
1959  チャールトン・ヘストンベン・ハー』でアカデミー主演男優賞受賞
1962  ジョディ・フォスター生まれる
1976  『タクシー・ドライバー』公開 
      ジョン・ヒンクリーがジョディ・フォスターに憧れる
1981  ヒンクリーがレーガンに発砲。弾はジェイムズ・ブレイディに当たる
      ジョディはこの事件に衝撃を受け、しばし女優業を休業
1992  『刑事ジョー ママにお手上げ』公開
1993  ブレイディ法成立
1998  チャールトン・ヘストン 「全米ライフル協会」会長就任
2004  ブレイディ法が失効する