来客1人、ようやく・・・


■ 来客1人、ようやく・・・






アトムとはどういった人物なのか?・・・女性が女性トイレの洗面所で手を洗っている。そして「あっ、すみません、男子トイレと間違えました!」と入ってきた別の女性に驚かれる。たとえばそれがアトムである。要するにアトムは中性的なのだが、たんにスカートを履かない、女性的な色合いの服を一切着ないというだけである。声は女であるし、顔も手塚治顔キャラ風のくりくり顔で、なおかつしっかりした黒髪で、直毛おかっぱボブ時が多いのでアトムと呼ばれているのだろう、と、察する。アトムは大学の時に一緒だったが、学部は同じで学科はちがった。当時ひとことくらいしか話したことはないらしい。まったく覚えていない、というわけではないし、学科が同じだったファエの友人だという印象は持っていたように思う。大学を中退してから、主催していた映像研究会にはいったという。






アトムは先日大阪に帰省していて、来日していたモリッシーのコンサートに行った。スミス時代の曲も演奏されて、「ミート・イズ・マーダー」(12曲目)の演奏時は牛の屠殺の映像がずっとプロジェクターで流されていたらしい。会場の一角には動物愛護団体のブースが設けられ、なんやかんやと目だっていたという。スミスはどれもこれも名盤だと思うし、スミスの全アルバム、12インチ&7インチシングルを90パーセント所有していたスミス・フリークだったので、もちろんアルバムの『MEAT IS MURDER』(日本語では「肉食は殺しだ」。)もよく聞いた。そのレコードジャケットを見ればわかるが、 大岡昇平の小説『俘虜記』や武田泰淳の『ひかりごけ』で描かれているような、戦争時の極限状態における人肉食のことだとばかり思っていた。(つづいて資生堂とかの大手の化粧品会社がやっているけっこうえげつない動物実験や、それへの反対運動の諸説がネットで見れたりすることについても話した。)





年を食うと、だいたいそうなるとは思うが、ステージ上のモリッシーは腹がすごく出ていて、アトムは「あれ、肉の食いすぎやで〜。ぜったい」と笑ってしまったという(爆笑)。たしかに、モリッシーにはアイロニーはないと思うがシニックはある?・・・なんて、そういっちゃうと微妙なニュアンスですなあ。・・・中年男性の太り方、腹の出てきかたは、まず、脂肪だとは思うが、次に炭酸か。なんでもいいか?・・それよか肉を食っていても、動物愛護は可能なのか。これは根源的な問いなのか?いいかげんな態度なのか?どっちだ?どっちだアトム??





その他、いろいろと話し込んだ。レノン&マッカートニーの延長上にモリッシー&マーがいる、とは私見の盲見かもしれないが、とにかくアトムと共通する見解はスミスの曲を耳コピするのは、とても難しかったということだ。指弾きとピック弾きを同時にこなす、つまり人差し指と親指の間にピックを挟み、あと残された指でアルペジオを同時的にこなすという曲(たとえば、「ウィリアム」や「バック・トゥ・ジ・オールド・ハウス」)も多くあり、結局スミス・フリーク・バンドメンのなかには「ディス・チャーミング・マン」は耳コピできたけど、「ウィリアム」を完全耳コピできなかった、という挫折感を味わっている者も少なからずいると思う。






ジョニー・マー、しかし、なんて味わい深いコード進行!「ホワット・ディファレンス・ダズ・イット・メイク?」とか、あんな曲かける人ってそうそういないと思われるし、これ以外に聞いたことない。ちなみにこのシングルジャケって、俳優のテレンス・スタンプ(EX 『テオレマ』)なんすね。私はいまだにこの曲絶賛してるよ。マット・ジョンソンの「ザ・ザ」、とか聞いてないけど。






ドビュッシーワーグナーに影響を受けつつもワーグナーを切断しえたとするならば、似たように、モリッシー&マーの詩曲がそれ以前の、ロック&ポップスの駄菓子性を完全に切断しえた(まあ、プログレ無視していうと)、とか、「浄夜」から「月に憑かれたピエロ」へ至るシェーンベルクの有調から無調へのアプローチ、とかいろんなアナロジーで語ることができるとは思うが、なんだろうな。






で、アトムは結局わが部屋に何しにきたか?『レッド・レッド・リバー 1』のDVDをようやく、やっとこさ取りに来たのだった。ジャズ話とか、現代音楽話とか、現タワレコは実はNTTドコモの子会社、の話とか含め、まじでめちゃ話し込んだ。7時間?8時間?・・・ずっと飲んでたけど。





ザ・スミスのジャケットはほとんど映画からの引用だが、これはアンディ・ウォホール&ポール・モリセイの実験映画『FLESH』のスチール写真より。1stアルバム。