映画ノート 9


■ ジェームズ・キャメロン 『ターミネーター』 1984



駅のホームには、あまり人が寄らないポイントがある。そこだけが、ぽっかり穴があいているような場所だ。だいたいがエスカレーター及び階段下のやや薄暗いところである。ここに一人のおばさんがいた。少しちら見をした。髪型はなんというのか・・・(わかりません)で、洒落たレインコートを着こなしている。傘の色は赤っぽく、そばの壁にたてかけてあることが確認できた。傘の先端からは水がしたたり流れていた。おばさんはやや背中を丸めてリップクリームを口に塗っていた。しかし、その長さが尋常ではない。「うわっ、あんな長いリップクリームあるんや!10年くらい使えるんちゃう??」と、目を疑ったが、よく見ると魚肉ソーセージだった。・・・なんであんな洒落たおばさんが魚肉ソーセージを駅のホームなんかで食っていたのだろうか?それは、どうしても、どうしても、食べたかったからである。「しかたがない」とはこういうことを言うのである。




僕は出かけるのをやめた。そしてすぐに向かったのが駅前の古書店だった。ここで『ターミネーター』と『三つ数えろ』のビデオを購入した。ふたつ買って200円。内心「これは魚肉ソーセージレベルだな。」と思った。そして魚肉ソーセージを食べながら、部屋に戻って映画を見ることにした。魚肉ソーセージに合う酒はなんだろう、と考えたが、上映会の時に頂戴したイタリアのトスカーナ産の赤ワインをまだ開けていなかったのを思い出し、堂々と昼間から飲みながら映画を見ようと決めた。




なぜか白黒映画よりカラー映画を見たくなる。白黒でも面白い映画はたくさんあるのだが、こうやって二つ並べてみると、見る前はカラーの方が面白そうに見える。それはカラーの方が面白いからだろう。もし、魚肉ソーセージを包んでいるビニールの色が白か黒だったら、げんなりするはずだ。(いや、それはそれで面白いか。)魚肉ソーセージのビニールの色は「もう、この色しかありません!」というような切迫したものがある。とりかえしのつかない何かであり、一度しか人生がないのと同じように、一度しか「この色だ!」と決められないような「絶対性」を感じる。




さて、『ターミネーター』はカラー映画で『三つ数えろ』は白黒映画である。僕は先に『ターミネーター』を見ようと、セットした。この映画は、いままでさんざん見られ、さんざん語られてきた。「アーノルド・シュワルツネッガー」という俳優の顔かたちはわかるし、「だいたいこんな話だろ??」というだいたいの予備知識はあった。(つづく)