映画ノート 15


■ ロバート・フラハティ 『アラン』 1934




アイルランドの孤島、アラン島に住む家族とその周辺の話である。父親はタイガーキング、母親はマギー、子供はマイケルという名である。この映画を、あえてチャプター分けすると次のようになる。



第一章「ワカメ」
第ニ章「ジャガイモ」
第三章「サメ」



まずアラン島に住む家族が画面に登場し、島での暮らしが大変なことを、われわれは、知らされる。第一章ではワカメが写される。ワカメを大きな籠に入れて、背に担いで歩く母親の姿である。籠からはワカメがはみだしている。とても重そうである。なぜ、こんな大量のワカメが必要なのだろうか?それは第二章で知らされる。第ニ章では、ジャガイモ作りのために土を採集するシーンが現れる。アラン島では、土が「そこに在る」のではない。土は常に隠れている。土は岩と岩の間の小さな隙間にある(註1)。もしくは岩や石をハンマーで打ち砕いて、ペクッと裏返すと、そこに土が出現する。ジャガイモは主食なので、土をジャガイモ畑に移動させる作業が毎日の日課となっている。第一章で写された大量のワカメが土の上に敷かれる。どうやらワカメを下敷きにしないと、「良いジャガイモ」が作れないようだ。ワカメは決して味噌汁に使われるのではなく、土の栄養を良質にするために、使用されるのだ。私はジャガイモを使ってどのような調理がなされるのか、眼を凝らしていたが、ついにジャガイモを食べるというシーンはでてこなかった。




第三章はサメである。サメもまたアラン島の人々にとって、重要な資源である。冬場を凌ぐために暖房がいる。なので、火を起こしたり、灯油代わりにするサメの油が必要なのである。島の男たちは魚の世界で一番大きいといわれるウバザメの漁に出かける。そこで、たいへんな荒波に揉まれるわけだが、懸命になっている男たちを海岸の断崖上から見守る母親と子供の姿が次々と並行モンタージュによって画面に現れる。タイガーキングの面目躍如といったところだ。




この映画で描かれているのはこれだけである。そして、これらの作業がいかに大変なことなのか、それを描くための(画面構成を含めた)演出に多大なエネルギーが注がれている。映画全体の40%はアラン島を囲む海面の波であり、まるで人工照明が焚かれたような美しさで波が迫ってくる(カラーフィルムより白黒のフィルムの方が感度がよい、ということがわかる画面だ)。さざ波、小波、中波、荒波、そのすべての波の様態において鑑賞者は各々個別の情動を持つことができるだろう。




ロバート・フラハティは、ドキュメンタリーの映画作家として知られているが、この映画は不透明なフィクションであり、同時に不透明なドキュメンタリーである。いずれにしても、不透明である。まず、出てくる家族は、本当の家族ではなく、島でオーディションが行われ、選抜された人物である(註2)。あと、音の付け方が完全に「劇映画風」を狙っている。特にうんざりしたのは、土採集のために岩をハンマーでかちわる男(タイガーキング)の勇姿が描かれるシーンである。ハンマーで岩をガツンガツンとやる、そのリズミカルな動きに完全にシンクロさせて音楽がつけられているのだ。これはディズニーの漫画映画のサウンドトラック、そのオーケストレーションを見ているような気分にさせる。実際のリアルな「かち割り音」だけで済ますことがなぜできなかったのだろうか?





調査したところ、この映画は、完全アメリカン・メジャー資本による映画であり、おそらく「劇場で上映できる時間(尺)に、引き延ばして、完成させよ。」という要請があったのだと思われる。当時の時間感覚もあるだろうが、およそ30分で消化できる素材を77分に引き延ばしている。だが、その77分は決してひどく退屈なものではない。そこにフラハティの技術があるといえばある。




(註1)
ロバート・フラハティの妻、フランシス・フラハティが書いた『ある映画作家の旅』にも、ジャガイモ採集の記録が書かれている。

それでも彼女は、この祝福された小さな小島の、祝福された島人の一員でした。あるとき、彼女は私にじゃがいもを見せてくれました−−−石灰石の上に、絨毯よりも薄く敷かれた少しばかりの土くれの中から、まるで魔法のように出て来たじゃがいもを−−−彼女はそのじゃがいもを手に包むようにもって、優しく歌いかけました。「ああ、なんて美しいおじゃがなの!」(p86)

(註2)
同上の『ある映画作家の旅』には、こう書かれている。

私たちは何よりもまず、映画のキャスト(配役)を見つけ出して、私たちのために「アラン一家」を誕生させなければいけませんでした。初めのうち、島の人々は引っ込み思案で、何より私たちのことを胡散臭く思っていました。十七世紀中頃、クロムウェルの時代に、イギリス本土からアイルランドに攻め入って来て、アイルランド人を「スープ者」化しようとしたプロテスタントの軍隊のことを彼らはよく覚えていました。この軍隊は、アランの人々を飢餓から救ってやると称してスープを与え、その代わりに、彼らを改宗させようとしたのです。(p81)



釣りをするマイケル