サタデーナイト・フェイバリット #2




■ サタデーナイト・フェイバリット #2





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ブラウン・チューズデイ、先週につづき、スパニッシュ・リストランテで食事。今日は3人で。パエリャ・マリスコス、イベリコ豚のチョリッソ、サングリア(ちなみにサングルは「血」の意味、ギヨッとしないでもない)、あとは鶏肉のサフラン・シチューをやわらかバケットに浸けて頬張る。スペインのカナリア地方ではウサギを食すが、コネホ・アル・アヒーリョ・エスティロのカナリア風がメニューにはない。残念だ。次はトルティーリャを食べてみよう。なぜかテーブルで象のイラストを描いてと頼まれ6秒くらいで描いた。これは象の像であり、像の象ではない。そう思った。




パープル・ウェンズデイ、マローファットピース、ガルバンゾレッドキドニー、鶏肉のスープストックを入れて混ぜた雑炊、ターメリックで色づけしたものを作る。スペインの常食米は日本と同じジャポニカ米(しかも日本と同じような水田で作っている)。で、あるからして、日本食を食べ慣れた<舌ー胃>のコンスタントネスにしっくりくるのだろう。炊飯器のスイッチを入れる直前にオリーヴオイルとゴマ油をハーフで割ったものを少量注入。ビミ。




ホワイト・サースデイ、これはアバウト・クオータリーでここ5年ほどコンスタントに作っているが、サツマイモのオレンジジュース煮込み。タンカレーウォッカを適量入れ、オプティカルとしてミントの葉を添える。これはサイキックな味がする。ボンベイ・サファイアというジンを入れるとモア・ミスティック・ザン・サイキックな味がする。ほんのちょっと、わずかに。




コルドンブルー・フライデイ、以前ここで書いたと思うが、ジャック・ダニエルズをストロング・ブラックコーヒー(僕がたまにカルディで買ってくるのはマンデリン)で割るものは「ジェイムズ・ジョイス」と名付けられている。アイリッシュ・ウィスキーはベイリーズの他にはあまり馴染みがないので、ジャック・ダニエルズで割ることにしている。本場のアイルランドでは、これに生クリームを1、5オンスほどたっぷりと注ぐのだが、僕は肴にシュークリームを頬張りながらたまに飲んでいる。このレシピは、アリス・B・トクラスというレディが1954年に出版した料理本に、プリンセス・ド・ローハンが寄せたものだと、伝えられている(米国料理界のオーソリティ、メアリ・ドノヴァン監修の料理本による)。小説家ジョイスが好んで飲んでいたのだろうか、どうか。そこまで記されていない。でも、これは本当によくできた味だと思う。「強烈なブラック・ユーモアを放った後に一杯どうぞ!」といった感じか。





フライデーナイト・バラッズズ、風才かまびすしいジャズ・ミュージシャンが送るRADIO program「粋な夜電波」を聞こうと気合いを入れてチューンナップして待機していたが、ずっとナイター中継、ありゃりゃん?「バーネット」という投手がいることを知る。(なぜか爆笑)。ブリジッド・フォンテーヌの「ラジオのように」どころではないワーワーギャーギャーのクラウド、でもスタジアムからの音声で一番目立つのはラッパの音。ディスクジョッキーの興奮声、まさにエキサイティング・ベースボールだ。で、今週完成させた曲。フライング・スパゲッティ&サスペンディッド・ウィンドウ「メリー・メイキング・ミスター・エイゼンシュテイン」。よく聴いた曲&アルバム。プリミティヴズ「シック・オブ・イット」、アルバート・アイラー『マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー』、ヴァン・モリソン『アストラル・ウィークス』、ジョニ・ミッチェル「カリフォルニア」、アリーサ・フランクリン「ディーパー・ラブ」、「ナチュラル・ウーマン」、野村麻紀「噂を信じていいかしら」、ポール・マッカートニー『タッグ・オブ・ウォー』。映画は?一秒たりとも見ていない。ギャギャ!!。




これが、なんとかなるのよ!





レッド・ホット・チリ・サンデイは横浜。どっぷり半日過ごす。「OUR MAGIC HOUR」と題されたY・トリエンナーレへ。ポスト・デュシャンパラダイムを狙っているのか、他の非−デュシャン的作品のオンパレードの中で、杉本博史の作品が、さすがに目立って良かった。「レディメイド」という概念ではくくりきれない、というかマーケットに並んでいるような「レディメイド」を垂直時間的に深化させたobjectを使用した、という意味では非常に興味深いスタンス/パースペクティヴだ。骨董趣味すれすれ感があるが、デュシャンが用いた小便器や自転車の車輪などの、ポップネス・・・「そのへんにある」感(anyplace as anything的な)を充填させたマテリアルを芸術的に昇華させようというものではなく、ほんとにマイナーなものをそれがマイナーであるがゆえに、ポジティヴに用いたのだろう、そんな物質を使った作品群だった。(のっけから古風な「塩の専売所であることを知らせる看板」が杉本コーナーの入り口に掲げられているのには、驚いた。こんなものどこで拾ってきたのか。おそらく、その看板を見た者は、「ここで初めてその看板を見た」。そして「後にも先にも、その看板を見たことがない。」という印象を持つにちがいない。ハズすセンスがいいのだろう、きっと。)




トリエンナーレ、という意味は調べてないし、なんのことかはわからない。(3年に一回という意味か)。オノ・ヨーコがらみなのか、会場となっている横浜美術館ファサードには「マジカル・ミステリー・ツアー」(ビートルズの1967年の名盤だ)のレインボーカラーのタイトルロゴをパクった(というか出品者でもあるヨーコの指示があったとしか思えないんだけど)テーママークが掲げられているし、「マジカル」というニュアンスは、ほんの微塵に感じられたが、全体的にはそうそう納得いくものではなかった。かつてターンテーブルを30台ほどならべて実験的な音響プレイを試みていた(京都の「クラブメトロ」で!)クリスチャン・マークレーの作品は、大文字の(つまりは、とてもわかりやすい)セリエリスムにのっとって、既存のメジャー映画の中で表出された時計のシーンだけを繋げた近作映像作品である。しかし、それはジャスパー・ジョーンズ的サンプリング・・・かつてサワラギノイが『シュミレーショニズム』で扱っていた「サンプリング・アート」を映像化しただけのものである。<何をいまさら>と一瞬思ったにせよ、うんざりするほどわかりやすく、そして、飽きずに見れて面白かった。<飽きずに見れて>という経験値はなかなかの不動感がある。





ランチはイタリアン。ヴォロネーゼ、モレッティビア、サラダ。ディナーは例のチャイナ・タウンでオイスターをベースにした料理を数々。ピータンに始まり杏仁に終わる、きわめてオーソドックスなディナーコース。紹興酒にはザラ目のサトウを。芸術家にはアプサントを。アンティパスト、アンティパスティス。「いいか、チャイニーズに会ったら必ず目線をはずしちゃいけない。そして相手が目線をはずしそうになったら、かならず挨拶するんだ。いいか、ニーハオだ。チャオツーと間違えるんじゃないぞ。そしてジョニーサンダースの<チャイニーズ・ロック>のサビの部分を15秒かけて正確に歌い、華僑資本のマージナルゲットーから、制作資金を調達するんだ。それが資本主義というものだ。」