■ リチャード・レスター 『THE KNACK』
音楽用の映像、今で言うところの「Promotion Video」、それはかつてヴィデオではなく、フィルムで撮られていた。フィルムはおろか、磁気テープという物質性が、不可視的領域に追いやられ、ハード・ディスクやDVDメディアが主流となっているのであろう現在、PVとは、その映像を定着/記録させるマテリアルが変われど、形式においてはさほどの進歩も見せていないように思われる。
かつては現像されたポジ・フィルムをスプライサーでカットし、スプライシング・テープで接合したそれをTVの電波形式に準拠した電気信号に変換したうえで、「TELE(遠くの)−VISION(映像)」という流通形態において各家庭に届けられていた。それは「PV」という名称では呼ばれなかったが、イギリスのBBC局などにおいては、PVの初源形態を電波に乗せていたのだ。80年代初頭において「MTV」が映像クリップをディストリビュートするまでは、PVならぬPF(プロモーション・フィルム)が支配的だったのである。『ザ・ナック』においてはPV的演出的要素が各所にちりばめられている。もともとテレビ・ディレクター上がりのレスターゆえにか、最新技術にも目敏かったのだろう、一見してそれとわかる(ドゥルーズの「映像−時間」を敷衍していえば)「映像−感覚」なる表象がそのモノクロームの映像に彩りを添えている。そういった目新しさがカンヌ映画祭の選考委員をよろこばせたのだろう、1965年のグランプリに輝いているこの映画を今見ると、しかし、なんのことはない、<映像−運動>という分母に<映像ー感覚>という分子を導入して映画を方程式化しているだけなのだ、といえなくもない。(良くも悪くも図式的で退屈なのだ)。
と、言えば、少々意地のわるい言動だが、贔屓目に見ていうと、19世紀のヴィクトリア朝を経由したイギリスという国はもっとも「実験」する余裕のあった国だったのだろう。レスターの映像実験は、のちのデレク・ジャーマンやピーター・グリーナウェイ、(ケン・ラッセルを含めてもいいかもしれない)の実験に引き継がれている、といえば単純化しすぎだろうが、僕には、さらなる以前に小説『トリストラム・シャンディーの生涯と意見』()を書いたロレンス・スターン(ちなみにスターンを最初に日本に紹介したのは夏目漱石である)の実験小説から引き継がれたものなのだと思われてしかたがない。(それにしても突然あらわれる黒ページはなんともいえないインパクトがあった・・・ゴダールの『東風』(1969)における黒画面を想い出そう)。・・・『ザ・ナック』。どうもこういう映画はダメだ。「イギリス映画だけはどうも苦手だ。単純にしてバカバカしいアメリカ映画の方が好きだ」というようなことを言っていたヴィトゲンシュタインを思い出すばかりである。(2010-11-06)
■ リチャード・レスター 『HELP!』
以前、このウェブログで書いたと思うが、「エルヴィス・プレスリーは彼の出演する映画において役者を演じていたが、ビートルズはビートルズが出演する映画においてビートルズを演じていただけだ」。そういう意味ではエルヴィスの『ブルー・ハワイ』はムーヴィーだが、『ヘルプ!』はムーヴィーではない。では何か?それはたんなるアイドル映画である。アイドル映画は得てして「金を生む機械」であるし、そうであるがゆえに絶対的な拝金的忠誠を誓うものである。ビートルズ初出演の映画『ハード・デイズ・ナイト』(これもリチャード・レスターが監督)の上映時にはファンがスクリーンをハサミで切り裂くなどのオージー(騒擾)が起こり、つづく『ヘルプ!』においても多数の警備員が映画館の内外に配置された。(『ヘルプ!』はスクリーンに保険をかけていたという)。
下手な駄洒落だが、「長髪は挑発」だった。ビートルズ的長髪は大人社会への反抗、つまりは挑発のシンボルであり、「熱狂」はその具現化だった。イギリスのワーキング・クラス(労働者階級)についてはビートルズを聞くよりもアラン・シリトー(中上健次も敬愛していた)の小説を読む方がてっとりばやいし、そのメンタリティーも十全に捉えることができるだろうが、しかし、同時代的共同幻想を徹底的に植え付けるにはやはり映画の方が御誂え向きだったのだ。かくして「若者」はたんなる「事象」ではなく、「意味」として確立し、のちのヒッピー・ムーヴメントまでその「意味」とやらが、そして若者の「レゾン・デートル」とやらが続行するのである。長髪とサンダルのサボタージュ、マリファナと、ヌーディズムのフリーダムとともに。(2010-11-03)