■ グリール・マーカス 『ミステリー・トレイン』
『ミステリー・トレイン』の副題は「ロック音楽にみるアメリカ像」で、「先駆者たち」「後継者たち」の二部から構成されている。「先駆者たち」で取り上げられるのはハーモニカ・フランクとロバート・ジョンスン、「後継者たち」で取り上げられるのはザ・バンドとスライ・ストーン、ランディ・ニューマンとエルヴィス・プレスリーである。レイアウトは素晴らしいし、ページに散発的にあらわれる数々の写真、その選択や、配置、トリミングの仕方までとても細やかな配慮がある。オールド・アメリカン・デイズといった風体だが、とくに見開き2頁にわたる写真にはうっとりさせられる。
この書には、ロック、あるいはロックンロールが、いかにそのベースの多くを黒人音楽に負うているかの指摘が数多くある。エルヴィスとゴスペル(黒人霊歌)の邂逅、それ以前の先駆者、ミシシッピ・デルタ・ブルーズの祖であるロバート・ジョンスン。(ジョンソンでもいいのだが、マーカス、あるいは翻訳者はジョンソンをジョンスンと表記し、ブルースをブルーズと表記する、たぶん本場の発音ではそうなのだろう・・・)
さて、2006年1月7日の日記で触れているが、アルコール依存症のリハビリテーションのために、ブラック・パンサーの資料を断続的に翻訳していたことがあった。ブラック・パンサーとは、70年代のアメリカにおいて黒人開放運動を推進した政治結社(パーティー・・党)のことだ。130ページから191ページまで占める、スライ・ストーンの「スタッガリー神話」で、1966年にブラック・パンサーを創立したボビー・シールやエルドリッジ・クリーヴァー、ヒューイ・P・ニュートンが登場していて、とても興味深く読めた。以下は読書ノートというよりも、音楽ノートをかねた、ほとんど個人的な備忘録に近いが、ここ数年、記憶喪失恐怖症気味なので、すすんで想起してみたい。
かつて1996年末から1997年初頭にかけて遊びでつくった『ネッカチーフ』という作品がある(徹底的な遊び作品とはいえ、京都国際学生映画祭で上映されたりもした)。その際、ルドルフというドイツ人の男性(当時、ルディは鴨川べりにある関西ドイツ文化センターに勤務していて、端役で出演してもらったのだが、彼は黒人音楽に詳しかった。『ネッカチーフ』の撮影中に、ルディはグリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』について語っていた。撮影の合間に「エルヴィス、エルヴィース!」と連呼した上、「バッパラドゥラール、バッバッバッ♪(Wo p-bo p-a-loom-bo p-a-Io p-bam-boom♪) 」と、エルヴィス1956年のポップチューン「トゥッティ・フルッティ」を歌いながら、汗を切るように(もちろんウケ狙いで)踊っていたので、「とても愉快な人だな。」と思った。(ちなみに彼のモミアゲは映画『ミステリー・トレイン』に出てくるジョウ・ストラマーのように素晴らしかったし、この会話の発端は同名映画においてストラマーがピンボールをしているワンシーンだった)。興味をもった僕はさっそく読もうと思ったが、どの書店にも売っておらず、図書館にもなかったのでずっと読まずじまいだった。ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』(1989)はまずまず好きな映画だったし、グリール・マーカスという名前も、なんだか「おいしそう」なのでずっと気になっていた。『ミステリー・トレイン』を観た1年後あたりだろうか。『レモンデート』という長編の脚本を書き、京都市の岡崎(東京で言えば美術館や動物園がとなりあっている上野公園みたいなところだ)、国立近代美術館の前、大通りをまたぐように屹立している平安神宮の巨大な鳥居(平安遷都1100年の記念事業によって建てられた)の前にパジャマを着た黒人が突っ立っているというシーンを書いた。今となっては、なぜそのようなシーンを書いたのかは皆目検討つかないが、撮らずじまいのそシーンだけがずっと気になっていた。(「和様化する黒人」というのは極限的に「ポスト・ヒストリカル」な独創的イメージだ。)
脱線しよう。黒人音楽には詳しくはないが、たしか高校の一時期に、ヒップ・ホップを聞いていた。高二か高三の時だったろうか、ちょうどRUN DMCの「ウォーク・ディス・ウェイ」(原曲はエアロスミス)が流行りに流行った頃で、ちょっと気取った男子はRUN DMCのマネをしてアディダスのスーパースターを、その紐をぜんぶはずして履いていた。当時、僕は遊びでバンドを組んでいて、ドラムに誘った男が黒人音楽にやたらと詳しかった。彼の部屋に遊びにいった時、グランド・マスター・フラッシュや、ファット・ボーイズなどのヒップホップ・クラシック、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、オーティス・レディングのLPなどがあった。僕は選り好みせず、何でも聴く方だったので、それらのLPを何枚か借りて聞いてみたが、いまいちしっくりこなかった。(その当時、何も知らず、チャーリー・パーカーの『バード・アンド・ディズ』をレンタルレコードで借りてきて、初めてジャズに耳が触れ、こっちの方が黒人音楽的だな、と勝手に思っていた。)そして、ビースティ・ボーイズの『ユー・ガッタ・ファイト』が流行し、1st LPが出た頃にはもうヒップホップに対する関心はまったくなくなっていた。
さらに脱線しよう。おおげさな話だが、もし、現在においてロック、あるいはポップ・ミュージックを聴くということに「前提」があるならば、ぼくは「三角貿易だ」と答えるかもしれない。「ロックの前提は三角貿易だ。」一見わけのわからない主張だが、僕なりに整理してみよう。18世紀の三角貿易はワットの蒸気機関の発明とともに産業革命の土台(背景)となった。イギリスは、アメリカから綿花を買い、アフリカから安い労働力(いわゆる奴隷の労働力)を買って紡績業を推進し、富裕層と貧困層、つまり階級を整備していった。そして、イギリス、アメリカ、アフリカ、言うまでもなく、これが「三角」の三点をなしている。三角貿易は資本主義を歴史的に考えるにあたって無視できない「交換のシステム」であり、交換は音楽にも及んだ、というのが、僕の考えだ。(三角貿易についてはエリック・ウィリアムズというトリニダード・ドバゴという国の首相が書いた『資本主義と奴隷制』に詳しく書いてある)。「パックス・ブリタニカ」(PAXというのは平和という意味)を実現したイギリス中心の経済政策は多くの文化をも生んだが、「日本」に「イギリス文化」が輸入される時点で、その前提となっている「三角貿易」はかなりの度合いで「漂白ー無視」されていると思う。(その意味で、ジュリアン・テンプル監督の『ビギナーズ』は『クアドロップヘニア』(邦題は『さらば青春の光』という恥ずかしいタイトルだ)よりもいい映画だし、セックス・ピストルズの「ブラック・アラブス」は「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」よりいい曲だ)。繰り返すが、僕は白人音楽の流通も、黒人音楽が先進国において聞けるのも、それらについてのあれやこれやを語れるのも、18世紀の三角貿易なしにはありえない、と捉えている。また、20世紀のイギリスやアメリカは音楽先進国だという通念があるが、いうまでもなくエルヴィスのみならず、ビートルズやストーンズの出現でさえ黒人文化にその多くを負うている。
さらに脱線。僕が20代の時に読んでいた雑誌は『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』と『批評空間』だけだった。『カイエ』誌上、うるおぼえだが、安井豊のフィルム・クリティークにスライ&ザ・ファミリーストーンの『暴動』(たしか「暴動」という沈黙が続くだけの曲)を引きあいにだして書かれたものがあり、それと同じ文章だったかどうかはわすれてしまったが、グリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』からの引用文もどこかにあったと記憶している。とても印象深いものなので、書き写しておこう。ちなみに「スライ・ストーン スタッガリー神話」の章の冒頭にあたる。
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あるとき、あるところで殺人事件が起きた。スタッカリー、スタッカ・リー、スタッゴリー、あるいはスタッガリーという男がビリー・ライオンズ、あるいはビリー・ザ・ライオン、またはビリー・ザ・ライア(嘘つき)という男を射殺した。この話はアメリカの黒人がいくら聞いても聞き飽きることのない話であり、また、いつまでたっても実践しつづけている話である。ーーー白人の場合の西部劇と同じようなものだ。その話の無数の版のイメージのなかにある原型は、偶発的な暴力とセックス、欲望と憎悪、習熟と熟達、優雅で贅沢な生活といった空想を物語っている。もっと深いレベルでは、それは、日々入り組んだ限界のなかで暮らしていて、自分たち自身の間でしかその限界を越えることのできない人たちにとっての、無制限な空想である。それは、誰もがなってみたいあの強靭で活発な人物を描写したものであると同時に、ありきたりの、無意味で見かけだおしの死の舞踏でもある。
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この話が面白いのは、スタッガリーが微妙に名前を変えながら不滅の生き物のように生きていることであり、また、そうすることによってしか生き延びることのできない話だと捉えられている点である。神話と言われるものが、共同体間をうろちょろうろつきまわりながら、じわじわと形成されてゆくものだとすれば、そもそも固定した固有名、話の内容ですら、微妙な変更を含んでしまうのだろう。ところで、グリール・マーカスはスタッガリーがビリーを撃ったのは、「ありきたりの、無意味で見かけだおしの死の舞踏でもある。」と結んでいるが、どういうことだろうか。巻末の注釈によると、スタッガリーのバラッド(トム・デューラ、ジョン・ヘンリー、ケイシー・ジョーンズ、ジョン・ハート、ファリー・ルーイス、フランク・ハッチスン、レッドベリーなどによる)をはじめて活字にしたのは、1910年のアラン・ロウマックスなる人物だが、これらのバラッドは1900年、メンフィスで実際に起こった殺人についてのものだった、そして、マーカスは当時殺人件数が世界一だったメンフィスで、「そのなかのひとつの事件だけが記憶に残るというのは奇妙なことに思える」と伝えている(スタックが黒人か白人か、初期の版は混乱しているということから、マーカスは何か不思議な逆転がこの話の曖昧な点に隠されているのではないか、と指摘している)。これらのバラッドそもそもが「見かけだおし」であるかのようにスタッカ・リーの物語や運命も歌い手次第によってアレンジを内包しつづけ、その放埒さ、無制限さが逆にスタッカ・リー神話の曖昧さを残しつづけることになる、ということだろう。「ありきたりの、無意味で見かけだおしの死の舞踏」、つまりスタッガリーの伝播プロセスは、当の事件よりも、はるかにリアルだったということになる。それは作り話(虚構)が現実を凌ぐ場合があるということだ。
約2年前、クラッシュの1979年の画期的なアルバム『ロンドン・コーリング』のデジタルリマスター版を聴いた。これは、セックス・ピストルズやストラングラーズとともに僕が15歳から17歳にかけてよく聴いたアルバム(当時はLP)で、ギターでコピーしたりもした。(ミック・ジョーンズとジョウ・ストラマーが使っていた電話線のようなぐるぐる巻きのギターシールドも真似して使っていた)。リマスタリングの作業で高低のノイズをカットしてあるからか、非常に透明感がある(特にブラス)のに少し違和を感じたが、やはりいいアルバムだな、と改めて感じ入った。『ロンドン・コーリング』はジャマイカの文化成果とパンク期のイギリスの街頭生活を混ぜ合わせながら、スタッガーリー/ルードボーイ闘争を土台にしている、とマーカスは指摘し、名前、顔、人種を変えて、かつての悶着男、スタッガリーが「ジミー・ジャズ」「しくじるなよルーディ」「ブリクストンの銃」「死か栄光か」に登場していると伝えている。(具体的に本名の「スタッガリー」が出てくるのは「ロンゲム・ボヨ」の冒頭部である・・・この曲はジャマイカのルーラーズがヒットさせたロック・ステディの名曲だ)。
「どんなに安っぽいごろつきだって世の中と取り引きをし」・・・ジョウ・ストラマーがうたい、スタッガリーの霊気を、その霊気がいつもそらしてきていたリアリズムでもって突き刺す。「結局は長椅子か女に金を払う/その両手には愛と憎悪のいれずみが/わからないやつだなと自分の子供をひっぱたいた手/死や栄光がどうやって/何でもないよくある話になってしまうのだ。」(「死か栄光か」)
脱線しすぎて、もどれなくなった。このあたりで終わりにしよう。(2009-11-13)