「それは習慣だからだ。」とはいえ、「おはようございます」と言うのはなぜなのだろうか?いくつかの捉え方があるだろうが、ひとつに「おはようございます」と言われると「こんにちは」や「おばんです」と言いかえす「自由」(というかそれを言って人にたいした迷惑をかけないカテゴリー)が許容される(「何言ってんだーてめえ!」とか、その程度の「笑い」ですまされる)にもかかわらず、必ずといっていいほど「おはようございます」と返すことに原因があると思える。(「おはようございます」と言えば「おはようございます」と返ってくることを意識できないほどに「おはようございます」と言ったり、言い返したりしているから「おはようございます」は反復される)。そして「おつかれさま」と言われて「アヒルが三匹」と返す人がいないように「おはようございます」と言われて「マントヒヒが十五匹」と返す人は、まあいないだろう。「二人の人物がいて、二人の人物が今、まさに<互いに>現前している」ことを確証することにおいて、たいした目的はない。(むしろ「アヒルが三匹」と返した方が、相互の現前性が強化されるかもしれない)せいぜい、「まあ、いつもどうりだな」と無意識裡に素通りするくらいだろう。しかし、この「いつもどおり」、平たく言うと「私は相変わらずです。あなたは?」と聞かれて「いや、まあ、私も相変わらずですよ」という「通常の次元」の持続が「この世界の変わらなさ」を形成しつづけることに役立っている、とも言えるのではないか。