imagon2007-05-31









一日において「カワいい」と発音される確率と、「アウグスティヌス」と発音される確率はかなり違うように思える。それは世の中がそういうふうにできあがっていて、「カワいい」と発音させられている一定の強制力が働いているからなのだろう。「それはアウグスティヌス的カワいさだ。」などとは一生言わないだろう。




ファッション誌のコピーなんかでよく見かけるが「カワいいVSカッコいい」の対立関係はすでになくなっていて、現実世界では「カワッコいい」に統合されているような気がするが、あえてこういう二項図式を与えるのは一定の経済効果を生み出すからなのだろうか?それが「カワいい」のか「カッコいい」のか、判断しなくてはいけないのか。そのボーダーが曖昧な服装の方が目立って多数派を形成しているような気もするけど。





しまいには「おや?今日はダサカワッコいいね!」とか「キレカワッコダサい服が欲しい」とかそういう風になるのだろうか。