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京都はいいところだ。とくにほどよい低音を悠久にたてている賀茂川の北山植物園あたりはすごいいいところだ。歩道もきっちりと整備されていて、歩いているとほんとに気持ちが良い。こんなに風光明媚な川は世界中さがしても、どこにもないのではないか?と思うくらいいいところなのだ。注目すべきはゴミ箱がちゃんと置いてあるところで、このゴミ箱の表象がずいぶんマイナーなものにありつつある時代にあって、賀茂川の川辺に直径1メール30センチほどの古風な籠状のものが、たてかけてあるというだけで、京都人がゴミに対してもつ伝統的な美的態度をさりげなく知らされる。北山から出町柳まで風に晒されながら南下。デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの「ミラーボールズ」がずっと頭の中で鳴っていた。(ちなみに東京の多摩川べりにはゴミ箱はひとつもない)。


四条河原町にあった阪急百貨店(ちなみに阪急グループの創立者キリスト教徒の小林一三)が、閑古鳥で家賃が払えなくなり、2年前に撤退し、代わりに東京資本の丸井と成城石井が入っている。市内各所の東京植民地化を批判している地元の人も多いらしいが、私はどっちでもいいという立場だ。(なぜなら京都のイメージは京都人が作っているのではなく、おおむね東京主体のメディアが作っているのだし、このメカニズムをターゲットにするならJRのキャンペーンのあのしらじらしい一面的京都の虚構写真を批判するべきであるからだ、ようするに東京がなければ京都はありえないということをどれだけの京都人が痛切に理解しているのだろうか?)。・・・それにしても、(こんなことを言うのも、)商売が成り立っておればいいのだが、成り立っていない店が多いからである。残念ながら京都人の財布のひもの固さはアロンアルファで固められている。(あの、屁臭を発する仏教徒がロットンマネー・・腐った金を肥溜めにためこんでいるからだ・・・)。しかしねえ、丸井も成城石井も集客はよくないらしいし、何をやっても一緒となると、この先暗いような気がするなあ。店舗の入れ替え多すぎ、そんで道歩いている人よりも飲食店の方が多すぎ。まあ、どこでもそうか。しらんけど。





そんなわけで、私は京都になんの未練もないということが、すっごくよくわかった。まあ、親兄弟がいるから帰省するだけで、いなかったら100パーセント帰らないだろう。(数名の友人は別として)。東京で暮らしていてもホームシック感は絶無で、新幹線で京都駅について京都タワーを見ても、ついになんの感興もわかず、そういう時期にさしかかったということだ。いろいろ気遣ってくださる方々の「帰ってこいよコール」は帰省を重ねるたびに増えているような気がするが、京都帰るんだったら、北海道かベトナムに行きます。なので、とうぶん京都には帰らないことにした。めいっ子の友起子がきれいになっていたのは嬉しかった。キタオカが存命しているのも嬉しい。毎回寄っているJAZZ BARもそれなりに楽しかったが、いつものことだ。あいつはどうした、こいつはどうした、結婚した、子供ができた、失踪した、死んだ、ああ、酒の肴がまだ足りない。酒も肴も足りない。いったいどうすれば、満たされるのか?それは永遠に訪れない。そんなことは最初からわかっている。







やつはどうしてこうも歴史に残りたがるのだろうか?いや、残りたがるようになったのだろうか?やつは「ノガミさんよりも、ボクの方が確実に歴史に残りますよ、」と興奮して言い、ガッツポーズまでした。笑止千万だ。それに、なんという醜い姿を見てしまったのだろう!やつには「自分が歴史に残りたいという歴史の奴隷で、歴史に登録されたがっている歴史の飼い犬で、それに向けて具体的な目標をたてて日々精進している歴史奴隷人間だ。」という自覚がない。私はあきれ返ってしまい、返す言葉もなかった。彼が、何を歴史に残したがっていて、どういう努力をしているのかは知らないし、まったく興味もない。やつは歴史に残るということを理想化しすぎているところに問題がある。あと逆説というものを知らない。なぜ、作品を作り、発表するか?おまえみたいな阿呆がいるからオレは作品を作りつづけるのだ。と、そんなわけで、ヤツとは絶交。




京都はいいところだ。だが、少々、かび臭い。だから口なおしにデザートを食べよう。頭痛薬をいっぱいトッピングして、甘美な絶望とともに光を放つ、あの賀茂川を歩もう。




「思ひ出すとは忘るるか 思い出さずや忘れねば」 閑吟集 八十五