ロダンと白樺派





『考える人』で知られるオーギュスト・ロダン、いっぽうの白樺派と言えばなんだろうか?有島武郎兄弟、志賀直哉武者小路実篤、そして柳宗悦を主要メンバーとした白樺派?「新しき村」を提唱した白樺派?批評家の柄谷行人は、その文学論(および美学論)において有島武郎の小説を肯定的に捉え、柳宗悦の言説を批判的に捉えていたが、まず白樺派と言えば高校の時に読まされた武者小路実篤の手ぬるい「ヒューマニズム」的エッセイと、私自身、それを全面的に毛嫌いしていたことが思い出されるのだ。そういうこともあって、近所に武者小路実篤記念館(記念公園)があるのを知っていたにもかかわらず、中に踏み入れることはなかった。







平日の明るい午後、武者小路実篤記念公園へ出向いた。そこに着くなり、「自室から歩いて3分のところにこんな素敵な庭園があったとは!」と眠気がふっとんだ。その場所は、仙川からつつじヶ丘に抜ける道、なだらかな丘陵地に位置し、晩年の実篤がついえの住まいをそこに設けたのを、実篤の死後、遺族の方が調布市に寄付して、のちに邸宅の周囲に上品な庭園と記念公園を造成したところなのだ。菖蒲を植え込んだ小さな池、能舞台のミニチュアールを思わせる清楚な東屋、突然あらわれる、記念館へと至る抜道(小さなトンネルとその内部の照明)、そしてぽつぽつとしか人がいない余白という余白、あまりにも素敵なので「おだやかな日はぜひとも、ここで読書させてもらおう」と考えたのだった。さて、「ロダン白樺派」、ともに興味があるわけではなかったが「美術品の売買」を文学者が行っていたことにまずは新鮮さを感じた。白樺美術館を建てるためにロダンに手紙を送った白樺派ロダンに「浮世絵を何点か送る」ことで「マダムロダンの肖像」の譲渡とトレードしていたことや、セザンヌの『風景』(1885-1887---仙川からつつじヶ丘をのぞむ景色に似ていると言えば似ている)を40000フランで購入していたことなど、(柳宗悦も含めた)文学者たちが果敢に美術分野と関わっていたのだ。(それにしても今の文学者にこのような(いい意味での)「目ざとさ」はあるのだろうか?)このような日仏美術交流、あるいは売買合戦にうつつをぬかしていた白樺派なのだが、白樺派が送った直筆の手紙や葉書、ロダンからの返信などの展示も数多く、個物の作品の展示というよりも「交流のドキュメントのための展示」といったニュアンスが強かったのだが、それはそれで貴重なものを見せてもらった。それにしてもセザンヌの絵がたったの200円で見れるとは、なんというところに私は住んでいるのか!