BALL&CHAIN 6





勅使河原宏の『私の茶道発見』


勅使河原宏の『私の茶道発見』を読んだ。本書はおそらく「日本文化の入門書」のような手易く、ありがちな啓蒙書として出版企画されたのだろうが、茶道にはまったくと言っていいほど関心がなかったので、かえって興味深く読めた。まずもって、私にとって勅使河原宏とは、映画監督であると同時に「草月ホール」という欧米の前衛芸術をおそらく日本でもっともはやくから果敢に紹介したであろう文化施設であり、その建造に主事的に関わっているという(草月流といういけばなの流派の創始者である)勅使河原蒼風の長男である。そこでは作曲家のジョン・ケージ、舞踏家であり演出家であるマース・カニングハム、ジョージ・マチューナスやオノヨーコを始めとするフルクサスという芸術集団、ひいては作曲家の高橋悠治武満徹一柳慧などを筆頭に実に多彩なイヴェントが繰り広げられていたのだろう。草月ホールが今もあるのかどうか知らないが、80年代の西武文化、例えば、渋谷の西武シードホールで当時はあまり知られていないだろう翻訳者にして画家にして変態にして思想家にして小説家のピエール・クロソフスキークロソウスキー)の本邦初個展である「クロソフスキー展」(1988年11月10日〜23日)が行われたような「画期性」と比肩すべきイヴェント(出来事)だったのだろう。それはきっと利害的関心から離れた「高級文化」の代表格だったのかも知れない。さて、この本で興味深かったのは「泡の名前がある」ということだった。この本に記載されている限り4種類の泡の名前がある。





鹿島田真希『ピカルディーの三度』


ソルフェージュ(ピアノ)教室に通う17歳の高校生と先生のスカトロジックな性愛をコミカルかつややセンチメンタルに描いている。「糞便」「ウンコ」「肛門」といった単語がこれでもかと出てくるのだが、何のてらいもなくその使用を反復しつつある種の強度(同性愛者同士の肛門性交)に到達しようとする意志が見え隠れする(しかし、最終的には「結ぼれ」は実現しない)。かつて、その場所でフランス文学を専攻していた鹿島田真希の通った白百合女子大学(仙川駅から徒歩10分)のそばを流れる小さな川(仙川)を挟んで巨大な下水処理場があるのを私は知っているのだが、それがこの破廉恥かつ破天荒な小説とどう関係あるのかはわからない。物語の最終部、「一人称」をめぐるパッセージは不必要だと思われた。



■ガーベラ

の花が部屋に飾ってある。花に囲まれつつ奔放かつ大胆に思索したシャルル・フーリエを想起する。昨年限定800部で出版された『愛の新世界』の翻訳は日本在住のモノマニアックなフーリエフリークが訳したのだ、と昨年末に会った(というかなぜか同席してワインを呑んでいた)渡辺直己が言っていた。




■ 哲学堂公園




いかにも日曜日らしい日曜日、病み上がり上がり、ある人物から情報を得た(マイナーな)物体を撮影するために、中野まででかけた。物体はあったが、建物の影が落ちていたため、十分な採光を得ることができなかった。しかし、歩いているうちに同様の物体をもう一カ所発見できて、それは光をたっぷり浴びていた。私は歓喜の念を隠せなかった。そして撮影してほしいと願っているような物体のその表情に私は微笑を投げ返した。シューティングの最中、「いい!」とか「すごい!」とかつぶやいたのだった。しかし日が暮れて街灯がともる頃にもういちど撮り直した方がいいか、夜の表情も見てみるか、と思い、しばしバスに揺られて哲学堂公園に向かった。哲学堂公園、(私にとって)「哲学」という言葉にはいまなおもって官能的な響きを放っているが、その場所は私の予想を裏切って、いささかの官能性をも発見できるには及ばなかった。公園というにはいかにも中途半端なサイズで空間的な広がりが乏しい。中野区、特に駅前商店街の光景のごちゃごちゃした印象の延長にある、つまり外界との切断に乏しいと言えばいいのか、ともかく雑然とした建物の配置、防風効果を無視した木の植え込み配置などが「手の行き届いていない」という印象をもたらせ、「こんなことではますます哲学が廃るばかりだ、とツァラストゥラなら呟くだろう」と呟いたのだった。商店街の裏手、ちょっと気取った蕎麦屋に入り、あたたかい柚子蕎麦と熱燗と香物を頼んだ。しかし、なぜなぜどうしてまず蕎麦が運ばれてきた。ここの店員はわかっていない。熱燗とお漬け物を頼んだからには、先に運んでくるのはそちらでしょう。わかっていないことさえわかっていない。私はわかってほしいことはわかっている。言葉は準備される。沈黙は敵だからだ。でも今日は楽しかった。