季節の変わり目の殺人的な人ゴミの中、視線は水平を保つことができず、斜め下、あるいは斜め上にその安定を求める。そこで、渋谷駅ホームにでかでかとハングル文字が踊る巨大看板に視線が吸収される。どう考えてもきれいなお姉さんとしか思えないその端正な顔だち。・・・所詮、いわゆる<韓流>は流行の産物なのだろう・・・ところで<韓流>は<韓風>ではない。さらに重要な事に<韓国流>でもない。そう、ここには<国>が抜け落ちている。(たんに`コク`と発音される時間が稼げるとはいえ)<国>を抑圧ー消去する事によって日韓間の歴史が実像でも虚像でもない、たんなる<イメージ>に堕してしまうのではないか?紋切り型、かつ穿った見方だが、<メガネ=インテリの象徴>を具現するハリー・ポッターくんの顔と相似値を均一にするヨン様といわれているらしい韓国の若者がソニー製のDVカメラを手にもって、こちらにレンズを向けてshootingする。その列車内のポスターの連打は、決して<国>を止揚しない。ゆえに、<イメージ>を推進しているとしか思えない。こういったなんでもない事がいちいち政治的に見えてしまうのは、健全な事か。不健全なことか。