ジュリディジュであれ、ブルースハープであれ、エレクトリックギターであれ、音楽の聴取において<速弾き>に耳を奪われる時がある。聴取しながら読書したり、メシを食っていたりしていても、ふと、気付けばその手をやすめている。純粋に音を三半規管にパスさせるために、頭蓋の境界に鼓膜があるということをふと顕在化させる時だ。グレン・グールド19歳から23歳までのコンサートホールでの演奏を録音した『THE YOUNG GLENN GOULD』も、そうような<耳の奪われ>に満ちたアルバムである。これは、戦後にアメリカの放送局から発掘されたテープをもとにCD化にあたって再編成されたものであり、スタジオに引きこもる前のグールドの演奏としては珍しいものであるらしい。フルトヴェングラーマリア・カラスと並んで、発掘テープによるリヴァイバル戦略もレコード会社になかったわけではなかろう、だが、いずれにしても素晴らしい。言わずと知れた『ゴールドベルク変奏曲』よりも、さらなるやみくもな速さ(若さ?)がみなぎっていて、どうしようもなく無条件に肯定してしまう。しかし、目眩のするような<速弾き>(音質の悪さがこの目眩に拍車をかける)を聞いていると、いつも呆然としてしまうのも事実だ。何かが確実に停止し、耳がその速さにすべてを預けてしまい、前景が剥奪され、方位を喪失してしまう。ところで、近日15日に上映される作品に『JURIS・OJIHI』という小品があるのだが、これはピアノの生演奏をバックに(あるいはフロントに)上映される。ピアニストが決まった。彼は『ゴダール映画史BBS』のごく初期に、ハンドルネームDFGという人物と、注目すべきハードな議論を展開していた男である。そして私は彼の事を密かに京都のエドワード・サイードと呼んでいる。