「決して想像させてはならない。想像を禁止する。今、ここの像(ビルド)の消費がすべてだ。プログラムされた像をプログラムにのっとって完璧にやつらに消費させよう。七人の小人の中にホンモノの七人の小人が入っているなんて事は、やつらには決して想像させまい。」・・想像力の完全抑止空間の<形式>としてのディズニーランド。

「第61回ベネチア国際映画祭で『ファイナル・ファンタジー7 アドベントチルドレン』が大絶賛される」と、9月8日付のスポニチが報道する。「ヨーロッパの5年先行く日本の技術」「僕はローマから80ユーロもかけてこの映画を見に来たんだ」などなどの文字が踊る。一方、「ゲームなんかじゃいや。本当の告白をされたい。」とテレビ画面の実写女子が涙ながらにノロノロ言う。

つくづく「ゲームの比喩」にはリアリティーがないと思っているが、それは「ゲーム」それ自体が公約数的な結果しか生まないからか?リアリティーのなさとしてのリアルな結果・・ゲーム。

三種の気晴らし。スポーツ、映画、ゲーム。