新・映画ノート 11

ジガ・ヴェルトフ集団

ジェーンへの手紙  1974

@渋谷ユーロスペース

 

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◼️ジェーン・フォンダは高校の時に深夜テレビで見たバーバレラ(まあまあエロいSF映画…MTV視聴中かったるくなってザッピングしてたらちょうどエロいシーンが出てきたので覚えている)が最初だが、監督のロジェ・バディムには興味が持てず、ジェーンへの手紙がジェーン認識二作品目となる。政治的女優というよりも実際の活動家だったということも当時は知らなかった。ゴダール全評論全発言2 初版時に購入し、この作品で使用されているコメンタリーの全文が掲載されているが、それを読んであれこれおもうところがあった。しかし長すぎるので途中放棄。そして最近といえば最近、今回の特集上映とまったく同じプログラムのDVD を購入したものの、人に貸したまま放置。中でもジェーンへ手紙だけは、前述したテキスト再録を完全に理解した上で見ようと思い、結果DVD では見ずじまい。なので厳密には今回が初見である。

◼️そんなことどうだっていいじゃん!とはいうものの、作品との遭遇の仕方は小さな出来事の積み重ねでなされるのであり、たんにロードショーで上映されるという映画以外のものたくさんあるのだ!ということは強調しておいてもいい。まず作品ありきとはいえ、あたりまえだけどね。

◼️この中編、マス・メディア(アメリカのエクスプレス紙…今のNEWSWEEKみたいなもん❓)が採用したがる写真の虚偽というか虚偽的な側面を分析しているんだが、とにかく前置きが長い。マルクス毛沢東主義者としてのゴダール&ゴランなので、緻密にして明確なイデオロギー構築が必要だというのは大義的にあったんだと思うけど、それにしてもこの作品の前に「万事快調」1972 をフォンダ(&イヴ・モンタン)を使って撮っているわけでその時の不満というか、撮れなかったX、を撮っているという気がしないでもない。

◼️端的に、マス・メディア→大衆が求める女優ジェーン・フォンダ像とゴダール&ゴランが求める政治活動家像としてのフォンダ像との乖離に対しての分析というニュアンスがややサディスティックに展開される。

◼️次にアメリカン・イデオロギーのひとつとしてヒロイズム(女性なのでヒロイニズム)への懐疑。戦争渦中のベトナムに接近して人民にあれこれ質問し、うつむき加減で悲しむフォンダ像というある種の慈善事業の虚偽的側面にあらわれるような写真表層を分析して、結果的にフォンダの(大げさに言えば)アイデンティティクライシスを催させるようなコメンタリーが続く。

◼️構図から始まって、フォーカシングの分析、アングル(なぜ仰角なのか)の分析、そして表情のアナロジー分析(ここでジェーンの実父にあたるヘンリー・フォンダの写真が登場する)など、足早にリストアップしていくんだけど、ここがこの映画のハイライトだと思うな。

◼️まあしかし、ずっと写真の静止画面の羅列が続く中での二者(ゴダール/ゴラン)の声が淡々とクールに被さってそれがものすごくカッコよかった。それはやはりゴダール&ゴランの政治的倫理というか、きわめて正常なマナーである。フォンダ親子という二世代にわたる(ちなみにピーター・フォンダは弟)アメリカの当時の象徴偶像を徹底的に愚弄中傷したい、と同時に、いや、それは露骨にやってはいけない、なぜなら悪いのはフォンダ自身ではなく、雑誌ジャーナリズムや写真家を含むマス・メディアの下劣なやり方のだから、、という逡巡が垣間見て取れるからだと思う。

◼️いずれにしても頑張ってほしい。という簡潔なエールで終わるこの中編は、結果フォンダを続行して応援するという構図で終わるのだが、しかして当のジェーン・フォンダはこの映画をちゃんと見たのだろうか❓  現在81歳、どこでなにをしているのだろう。

 

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