その昔、日大で映画理論を学んでいたという小川原さんと新宿の喫茶店で会う。彼女にとある事を依頼するためだ。なにぶん、昨年末に「ドラヴィディアン・ドラッグストア」という大寺眞輔という映画評論家の方が主催しているウェッブ・サイトの忘年会に呼んでもらってのこのこ出向き、その際に彼女と少しお話しただけなのだから、改めて「人隣を知る」という意味で、「月並みな質問で悪いけど・・・」と展開されるいくつかの問いに彼女に答えてもらったのだが、いつのまにか話題は60年代以前の日本映画に集約されつつあった。・・・私は成瀬己喜男の本当の良さをまだ発見していない。かつて6000円を支払えば年間フリーパスで日本映画のクラッシックを大量に見る事のできた京都文化博物館の映像ホールという殆ど有閑老人の溜り場と化していたフィルムアーカイヴを備えた場所で『めし』(1951)や『晩菊』(1954)など数本の諸編を見たものの、思い出されるのは、お馴染みの高峰秀子森雅之が情感たっぷりに肩を寄せあっている『浮雲』(1955)のスティール写真(宣伝材料)ばかりだ。母も『浮雲』を絶賛していたが、私は『浮雲』のスティール写真を絶賛していた。神田の一角にある映画専門の古書店に勤務する彼女は、遠方から手持ちで映画本を売りにくる来客の「買ってください」という要望にも「これは売れない本」だと算段し、その引き取りをやむおえず断ることに胸を痛めていた。物質の桎梏がそこかしこにある。彼女の最後までのみ干されなかった抹茶色ののみものが印象的だった。