美の条件

「塵」(ゴミ)ではなく「護美」(ゴミ)。よくできた当て字である。要するにあらかじめ確定された「美」はこの世に存在せず、その都度「美を護る」事を可能にする「ゴミ」の存在こそが美の条件なのだという「教え」を含んだ当て字なのだろう。しかし、新作ショートフィルムの『袖口』においては「ゴミ」を「美」の基底(選別ー排除の構造からとらえた美の意識)と捉えるのではなく、むしろ「ゴミ」に対する「シミ」の止揚を唱えるというモティーフを中心化している。ここにおいては「ゴミ」を可能にしているのが実は「シミ」だったというやや暴力的な仮説が含意されることになるだろう。つまり、「シミ」なしには「ゴミ」は存在せず、したがって「美」も存在しないというトリニティー。ところで「シミ」には日付もなければ固有の名前もない。「シミ」はその固有性を「シミ」としてしか獲得しえないし、「シミ」は「ゴミ」のようなジャンル(分別性)を獲得しうる規範をそなえていない。「シミ」はたんに「シミ」として名指されるばかりだ。この慎ましさにおいて、私は「シミ」にある一定の価値を認めている。「シミ」は「ゴミ」に対する下位物質だというわけではなく、むしろ等価にあるのではないかという仮説から「美」のフォーム(器)として機能する「ゴミ」に批評的にコミットすることが『袖口』において重要なモティーフとなる。「ゴミによるシミの隠蔽」。そんなわけで深夜から早朝にかけて、たくさんではないが、シミやゴミを撮影した。可能な限り強いフレームを作り、「シミの存在意義」とはどんなものかを鋭く意識しながら撮影するように心掛けた。