「2022年からの<真の映画史>」に向けての序説  #11

かつて、「日本語ロック論争」というものがあったらしいです。しかし、日本語はロックの歌詞に合うのか?という問いは、スペイン語浪曲の歌詞に合うのか?というくらいバカげた問題です。いや、当人たちには切実な問題だったに違いありません。どうしてエイトビートのロックンロールに、<愛してる>や<そういうあなたが嫌い>や<きっと明日は>とか<喫茶店では恋人たちが>いう言葉がマッチするのだろうか?と真剣に悩んだ世代がいるのでしょう。しかし、当時はやり方が一面的だったのです。いざとなればポエトリーリーディングに近いスタイルでやれば、なんでもしっくりくるのです。…そもそも音楽に歌詞をつけるようになったのは、詩に対して、韻を踏んで朗読したという時代と同時期だった、とわたしは考えています。これは古代ギリシや古代アジアの話です。これは考えているだけで、仮説を立てているだけで、検証はしていません。言葉ではないものに、言葉をくっつける、そして意味を持たせるという次元は子供でもやっています。ペットの犬に何々とつけたり、手持ちのぬいぐるみに何々と名前をつけ、何らかの意味を持たせようとします。いや、意味はないかもしれませんが、意味に近い何かが、そこには含まれます。ごく一般的に「おはよう」とか「こんにちは」というのですが「おはよう」の対象は何なのでしょう?厳密には何に対して「おはよう」と言っているのでしょう。そこには「朝、近所のゴミ捨て場にゴミを捨てに行ったら、あの奥さんに会ったの。そして彼女に対して<おはよう>と言ったわ。」などと思い返したりはしません。実際は、より厳密には<朝だから>という理由があると同時に、この<思い返したりしないこと>に対して<おはよう>と言っているのです。つまり、そこには<記憶>はありません。<記憶の外側>しかありません。

 

今は2月の6日の午前6時です。昨晩、いや、一昨日の晩は、ある場所で、東京の片隅の雑然としたところで、8㎜の上映をしました。1996年に作った「すてきな他人2」という20分少しの短編なのですが、当時のわたしが何を求めていたのかがわかります。「すてきな他人(1)」は、わたしの生涯でもっとも現代音楽や現代美術に入れ込んでいた時代、と言いますか、季節であり、「なんとしてでも偶然性を導入するぞ」という決断がありました。神戸のXEBEC HALLや京都のドイツ文化センターなど現代音楽のコンサートに行っていた時代です。当時は割合としては、ロックのLIVEの方が足を運んでいたはずですが、現代音楽のコンサートの方がより思い出されないので、どこかに刻んでおきたいという気がします。ブーレーズーケージ間でかわされた往復書簡はまだ出版されておらず、クセナキスの「音楽と建築」も探し回った上、どこにもありませんでした。創作上、制作上の方法に関しては自らわたし自身が編み出したものです。どう言った方法で偶然性が導入されたのかは、話しが長くなるので割愛しますが、どこかに、わたしの内部のどこかに主体というものがあり、その主体というものを盲目的に前提し、盲目的に前提しているが故に、何の疑いもなく制作できるという自明性に対し、わたしは大いに疑いを持っていました。パソコンが、当時はおそらく、アップルーマッキントッシュのG3やG4が主流だったでしょうか、正確には忘れましたが、これから猫も杓子もパソコンを使うぞ、ホームページというやつを立ち上げるぞ、というそういう時代が来るか来ないかの時期です。1996年にはまだ8㎜フィルムはカメラ屋で販売され、現像もカメラ屋を通じてなされていました。