■
6月の子供はなんと可愛く見えることかっ!!
■
ガールフレンドから「また食事に行きましょう」との連絡があり、それはそれで、またとないjubileeであろう。
■
しかし、また可能から連絡があり、「君の書いた、あれは削除してくれないか?」という請願があり、削除したのだが?
■
「IMAGON 3」の読者は推定5人だと言ったはずだが?
■
それに、絶対的に自由な表現を守るべきだと、かつて言っていたのは、ほかでもない、君だとも思うし、というか、君もそういう青年だったろうし、また、そんなことは君や私や彼や彼女でもよい、anyone、つまり、誰でもいえるとは思うのだが?(まあ、削除したが・・・・それはそうと、anyoneなる語は慣例上は肯定文で使うべきだのだが・・・)
■
インターネット上に言論の自由があるともいえないし、お互いを牽制しあったり、気をもみあったりしている時点で不自由物の何ものでもない。これも、自明であろう。
■
言論の自由?・・・・助詞の「の」の多様性、多機能性には驚くべきものがある。
■
だが、わたしは、述語だけで会話できる社会がいずれ到来するだろうと思うし、それは半ば完成している。
■
述語の量と質が確保できてしまえば、主語がたやすく推定できるだろう。
■
主語という概念は、キリスト教の「主」(あるじ)に起因していて、「主」(あるじ)という概念なしには、「私」という概念は派生しなかったと推察しているのだが・・・
■
キリスト教の誤謬を見抜くことを趣味としてたニーチェは、「文法」をおおいに疑っていたが・・・?
■
それはともかく、神社が壊滅し、それを看過したのは、「神は表象ではない」という一点の信念に還元されうる、とは結果的に思うのだが?
■
それに、「知覚不可能なものに成ること」が神だと言っているわけではないのだが?
■
どういうわけか、「GODA」と書かれた旗がゆらゆらとゆらめていて、写真を撮っておいた。今日の午後1時頃だろうか。私は爆笑してしまったのだが・・・。
■
それはそうと、ホワイトロリータは生産中止になった、と確認できた。
■
それが、いつだったのかはネット上ではわからないし、ロリータという語感にブルボンが慎重に対処したのかどうか?それもわからない。保護者団体からクレームがあったとは思えないのだが?
■
驚くべきことに、ドナルド・キーンが3・11震災後に日本国籍を取得したが、「ドナルド・キーン記念館」のスポンサーになっているのは他でもない、ブルボンである。
■
ドナルド・キーンはブルボンのお菓子(エリーゼ、アルフォート、など)を熱烈に愛しているのか、あるいは、ブルボンの筆頭株主なのか?それともブルボンの社長、吉田氏がキーンの愛読者なのか?それは知らない。
■
いずれにしても、ドナルド・キーンは川端康成や、三嶋由紀夫の評価をヨーロッパの文学界で定めることに寄与したことには疑いないだろう。
■
オリエンタリズムを信望すべきではないし、オクシデンタリズムも信望すべきではない。
■
ウィキペディアによると、キーンは、アメリカでの学生時代、バートランド・ラッセルに気に入られて、彼と飲み友達だった。このエピソードは意外だった。
■
そして、ラッセルは、ホワイトヘッドとの共著『プリンピキア・マティマテカ』(『数学原論』)を著していることは、よく知られているが、『怠惰への賛歌』というテクストも書いている。それはたいへんに面白かった。
■
ホワイトヘッド全集には『観念の冒険』の巻があり、そのタイトルにしびれていたが・・・
■
英単語のkeenには、「(包丁などが)鋭い」という意味があり、また「悲歌」という意味もある。
■
また、駒込に住んでいた男が言っていたが、キーンは毎朝、ジョギングをしているということだった。彼は挨拶を交わしていたらしいが?
■
その男は、ヨーロッパにランボーの研究をしに行ったのだが、先日帰国したとの連絡が先日あった。
■
だが、現在、腰痛に襲われたということだ。
■
ドナルド・リチーには興味はない。
■
ドナルド・キーンにもさして興味はないはずなのだが・・・。
■
私は、子供のころ、山崎パンの搬送用トラックのボディにプリントされているバクっとトーストをかじっている外人の子供をひどく怖がっていたが、今はそうでもないし、あの子が今、おじいさんになっていることを気遣うばかりである。
■
ドナルド・ダックにも興味はない。
■
ドナルド・マクドナルドが、ごく厳密に言って、肌の色を見せないというのは、ある種の経済効率を考慮に入れてのPR判断だろう。これで有色人種の何パーセントの顧客は見込めるという算段があったのではないだろうか。
■
ポピュリズムが、人種を問うことはあってはいけないのだと思われるが?
■
ドナルド・マクドナルドは道化者だというのが通念だが、それは一面的な見方であろう。さて、表象とは・・・・。
■
芸術家のドナルド・ジャッドを英語表記すると「D」が四つもあり、それはアルファベット総数に比して、「D」が多すぎるとは思うのだが。
■
ジャッド・デザインの家具のショップが芦屋にあるようだが、私は行ったことがない。
■
岡崎乾二郎はジャッドに対して、やや批判的なように思えるが、勘で言うと、好き嫌いでいえば好きなのだろう、とも思う。「スタック」という手法に関して、日本のアーティストがどれだけ言及しているのかはしらないし、わたしもまだ考えてないが。