『カフカノート』 ノート 4


■ 高橋悠治 『カフカノート』 4





たとえば「ヒッチコック」と発音してみると、それが二拍節だということがわかる。「トン、トン」という感じで「ヒッチ」と「コック」で分けるのが自然であり、「ヒッチコ」と「ック」で分けるのは不自然である。「ヒ」と「コ」が拍としてみなされた上で、「ヒッチコック」は、二拍節だということになる。「カフカ」はどうだろうか。発音してみれば明瞭だが、目立つのは「カ」の繰り返しであり、「フ」は繰り返しの「カ」によって沈んでしまうように思える。「カ」が押し寄せる波だとすれば、「フ」は引き離れる波のように、それは遠ざかり、沖合で翻弄され、いつしか沈みゆく。「カフカ」もまた、「ヒッチコック」のように二つの「カ」の繰り返しによって「トン、トン」というめだたない拍を構成しているが、こちらに向かってきて、身体を揺さぶるような拍ではなく、少し押してすぐに逃げ去るような拍、誰かのいたずらなのか、いたずらかどうかさえ判断しかねるような、誰かが背中を押したような、押さなかったような、だが、きっちりとしたアクセントを感じ取れたような、そんな「フ」である。




ところで海上を走っている船の位置がわからなくなってしまうことを船乗りたちは「ポジション・ダウトフル」と言うらしい。ダウト doubt は動詞で「疑う」なのでdoubtfulは「疑いで満たされる」、なにがなんやらさっぱりわからない、ということだろう。そういうときに船乗りたちは風向きや星の位置、天体や天候のすべてを手がかりに、自らの位置を探し出そうとする。あたりに何も見えないときの、役立たずの地図。『カフカノート』のなかで演じていた役者たちは、一部始終、ポジション・ダウトフルな状態で、ひっきりなしに位置を変え、ひとりと、またひとりが同期と非同期を繰り返しながら動作をこなしていた、この動作はカフカのテクストをトレースしたところに甘んじる芝居でないばかりか、そもそも芝居ではないので役者が何かを演じているとはいいがたい。二次的には高橋悠治の奏でるピアノ音響を空間でひっかきまわす、洗濯機のなかでぐるぐる回っている衣服のような動きを使って音響を交錯させ、乱反射させるような、そんな構造的な反響版の位置づけとして機能させることで、カフカの迷いの「フ」、遠くで、見えないくらい遠くで彷徨い、翻弄されている「フ」をこれでもかときわだたせてゆくのだ。(5月16日 つづく)