アンドレ・マッソン

imagon2006-04-11











昨日の個展に行ってから、無性にアンドレ・マッソンという画家の事が気になって、『世界の記憶』という本を読み返した。本と言っても図版や挿絵がふんだんに取り入られたちょっと贅沢なつくりのものだ。随分前、マッソンの事をまったく知らない時期、本屋でたまたまパラパラめくっていると、マネキンの頭部に鳥籠をくっつけたようなオブジェの写真が目に飛び込んで、すごく気に入ってしまい衝動買いしてしまった。そのマネキンはシュールレアリズム国際展(1938)において展示されたマッソンの(おそらく唯一の)立体作品なのだが、そののち、京都でぼくが主催して勝手に盛り上がっていた「宇宙記号論研究会」というサークル(メンバーはたったの二人だった)の主要なアイコンとして使ったのだった。






さて、マッソンの絵画といえば、破壊的、否定的といった負のイメージがつきまとう。今や完全に形骸化した言い方だろうが、「エロスとタナトスの結合」と評されたり、「神話的暴力の表象」と評されたりしている。そして、バタイユやレリス、ブルトンらとの交友もあったためか、シュールレアリスト一派という文脈から語られることが多いようだ。(しかし、ブルトンの第二宣言によってシュールレアリズムのグループから彼は破門される)。マッソンの絵画(というか画業)は二つにそのタイプを分けてもよいかと思う。ひとつは油絵、もうひとつはバタイユが主導していた雑誌『アセファル』の表紙絵に代表されるようなラフな感じの素描や挿絵である。マッソンは、ブルトンと出会う前から自動描法(オートマティスム)を試みていたそうだが、スカスカな感じのラフ・スケッチはどこかトゥオンブリーや哲学者バルトの素描さえも想起させる。しかし、例えば、『戦地ノート』(1916〜1917・・マッソンが第一次大戦に出兵していた時分に描かれた)に見られるように、その素描はたんなる反復的な模様ではなく、線の反復がある密度を構成してゆくなかで突如、なにがしかの形象(兵士など)が出現するという具体への移行が表象されている、独自の空間性を持つ素描に思える。油彩の下地(下絵)になっていたものもあろうが、それにしても、否定性、破壊性などはそう感じられることはなく、どこか軽すぎて飛んでいってしまいそうな、サラサラとした砂のような感触がある(実際マッソンはキャンバスに糊を塗って、砂を撒いて絵を描いていたこともある)。一方で油彩となると初期のポロックキュビズム化した(キュビズムを初期ポロック化した)ようなへヴィーなモノもあるのだが、どこかにポップさというか明るさが残されている。特に、『詩人ハインリッヒ・フォン・クライストの肖像画』(1939)は夭折した詩人・戯曲家の風貌をそのまま、白目をむかせたり口を開けさせたり、ある種痴呆的、病的なまでの筆触や色彩感覚で描いているのだが、どこか「これマンガやろ?」と思わせるような軽さを感じることができたりする。『虐殺』(1932)も、虐殺にしては明るくて力強く、そしてどこか度を超えた色の衝突具合をもっているのだが、戦争の悲惨さをセンチメントに訴えさせるようなものではまったくない(だからと言って虐殺する側を描いているのではないだろう)。それにマティス的な透明さを残しているような気がする(実際、マッソンはセザンヌマティスからも影響を受けていたようだ)。





あと、マッソンを語る上で重要なのはアメリカ抽象表現主義に与えた影響だろう。これは訳者である東野芳明があとがきで触れていることなのだが、アメリカに移住したマッソンの絵と、初期ポロック(氏はポロックユング時代と読んでいる)が酷似しており、マッソンがパリへ戻った1945年からちょうどポロックのドリッピング(マッソンの自動描法の一アレンジメントとも言えるのだろう)が始まったということだ。そして、マッソンとポロックの間には批評家のクレメント・グリーンバーグがいたに違いない。





昨日見た古谷利裕展に、マッソン的なものを感じとった、と言えば藪蛇だろう。しかし、きっとトゥオンブリーや、(かなり強引だが)シャガールを思わせる配色(原色以外の色で原色性を強化、強調させようとする)からマッソンと無意識的につなげていたのかもしれない。




最後に『世界の記憶』からの孫引きです。





○「私は変化させたり、イメージを破壊したりすることを恐れない」・・・ポロック
○「わたしはイメージを必要としないと感ずる。筆を自由に走らせるだけで、手を投げ出してしまえば神託があるだけだ。しかし、やがてイメージがあらわれれば、わたしはそれを追いやらず、受け入れ、複雑にさえしてゆく」・・・マッソン





※ 上写真は1971年、フランシス・ベイコンの大回顧展がグラン・パレにおいて開かれたときにマッソンとミロが再会したときの写真。左がミロ、右がマッソン、その間にいるのはフランシス・ベイコン。