新しい血





新しい血に入れ替えるのに、ずいぶん時間がかかった。もちろん物質的な血ではない。どう説明すればいいのだろうか、まず、諸関係の中で(ああ、歴史!)カラダの中に堆積していた古い何かを外の世界に散らす作業が必要とされた。これなしには新しい血に入れ替わったなどとは言えないだろう。とりわけ、このブログはぼくの絡まった過去を解きほぐす作業に少なくとも役立った。いかにそれが自己完結していようと役立った。そういう意味でたとえばリンゴの皮をむくためにナイフを持ち、使う、そんな道具としての役割をこのブログは果たしてくれたのだろう。好き嫌いはあるだろうが、使えるものは使う、これはいいことだ。




今日は大事な用事もあったし、やぼ用もあった。電子郵便、電話、電車、電卓、一日中バタバタしていたが、立ちくらみはなかった。




仙川の駅前を出たところに桜の木が一本ある。これはむかし、なにかのきっかけで切り取られる予定だったが、署名運動が大々的に起こったため、現存することとなった。と、ある人に聞いた。



終わったことは忘れられる。終わっていないことは記憶される。物事は、終わったときにはもう存在しない。・・・ビリー・クルーヴァー