もぐら、彗星





今日も何かがあった。何かがあったはずだが、何を書いていいのだろうか?何もなかったといえば何もなかった。だが、なぜ何もなかったといえるのか?毎日は過ぎてゆくが、今日あったこともいつかどこかで思いだされるのだろう。そして、思い出されるのは未来と呼ばれる地点においてなのだろう。未来には、そう、背中から吸い込まれてゆく。未来に上昇してゆくときは、だんだん小さくなる地上を見つめよう。どこかにある楽園じゃなくて、地上のことを記すために。






今日は何かがあった。しかし、何なのだろうか?いつもと変わらないと言えば変わらない。何もなかったと言えば何もない。ぼくの目にはいろんなものがうつったし、ぼくの耳にはいろんな音が届いたはずだ。相も変わらず、蛇口から水が流れ、フロにはいろうと思えば、フロに入れた。たぶん寝るまえには、布団をめくりあげ身を眠りにあずけようと少しは努力するかもしれない。目を開ければ、もう明日なのだ、明日はいくつかの用事がある。だからもう寝なくては、ねむりに誘導しなくては、なんて、そういうことをぼんやり思っているのか。




食べようと思えば食べれたし、喉が乾いたとちゃんと思えた。空気を吸ったりはいたりして、肺や心臓がいつもと変わらずに機能していた。メールが着信したことを知らせる音が空間に亀裂をあたえ、とびあがるようにびっくりしもした。そして、こうやって指先でキーボードを打てば、電子の黒と白のかたちが目前に現れたりする。それをあたりまえのように感じることができる。それは見えるものだし、目に届いている。指で液晶の画面をつよく撫でてやると、虹色の濃淡があらわれたりもする。発光体だ。これは紙ではない。




部屋のホコリはある場所にたまる。それが時間の堆積を知らせてくれる。生の鋳型?




はは、やあ、久しぶりだね、今日はそんな挨拶を誰かとしたかったのかな?そうではない、遠い国、遠い土地、遠い時間があるはずで、まったく自分とは関係のない現実があったはずだろう。そうやって逃げてゆく現実もあるということを思いなおしたかったのか。そうやって追いかけるべき現実もあるはずだという認識を刻みたかったのか。星の数ほどある関係性と無関係性。星は回転するし、だから、ぼくらも回転する。