「砂漠の小舟」上映+上映記念ライブ4days 覚書(その2)


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そう、文章もなるべく即興的に書こう。気を散らしながら、どこかに集中させながら。現在6月5日の深夜。6月独特の妖気は嫌いではない。「妖しい」のである。「6」という数字も手伝っている。過ごしやすい気温だが、湿度は気まぐれだ。身体的な変調も起こりやすい。ゆえに感受性も強くなる。///アニーズカフェで川口雅巳ふくむ「うすらび」のライブを観たのは今年の1月末のことだった。わずか3年ほどだが、濃密な付き合いがあった柊知生がついに、ついに、昇天し、ライブハウス拾得でのその追悼イベントで帰省していた。拾得でのイベントが1月28日だったので29か、30にうすらびを見に行ったのだと思う。//////ところで「うすらび」とはなんだろう。「うすらぶ」という動詞があり、その名詞化が「うすらび」なのだろうか。「物事がだんだん薄くなってゆく様子」なのかもしれない。「うらぶれる」とはちがう「うすらぶ」。肯定の意を込められた「うす!」…そして「LOVE」。「うすLOVE」。ーこれでは意味が分からない(笑)。「うす!la vie」。これも分からない。しかし分からなくてよい。お前は柔道部の山下だな?「うす!」君は相撲部の篠山だね。「うす!」。。うすは「十全たる了解」の「うす!」である。///大阪の会場に来てくれた詩人今野さんから簡単な感想のメールが届いた。そこに書かれているわずか3行20文字に「詩人」を感じ取った。その文に「詩」を感じたわけではない。「語を選ぶ」という詩人がなし得る行為の「神妙さ」「覚悟」、を感じ取ったのだ。ちょっとした短文でもそのような感受性がはたらく。いいことだ。//二日目も天気良し。体調もいい。しかし、大阪を終えて、ずいぶん緊張がほぐれた。二日目はアニーズカフェでの上映、そしてライブ。ところは伏見の深草。近所に龍谷大学深草キャンバスがあり、天下一品がある。「おっ?カフェもあるのか?」と入る、しかしそこにカフェっぽさは皆無である。失礼承知で言うと150%場末のライブハウスなのだ。。///筆者が京都市の北区から伏見区へ引っ越してきたのは11歳の夏で小5だった。この頃からアニーズカフェのあたりは馴染みのある場所だったように思う。高3卒業間近にアニーズカフェの前身サウンドトラップで持ち込み企画ライブをやらせてもらったことがあり、エレガントなブルーグリーンのカーペットに白いミニのグランドピアノが設置されてあった。まだ酒は飲んでいなかったが、カッコつけてタバコをふかし、珈琲をイキって飲んでいた。そこはもっともっと大人っぽい空間、阿川泰子か、青江美奈でもいいけど、エイミー・ワインハウスでもいし、ニーナ・シモンでもいいけど、そんな妖艶な歌手が小指をたてて歌っていそうなエレガントな場所だったのだ。今はアニーズの近隣に謎の中国語看板を掲げた食料品店、飲食店などが散在していて、知らない間に謎の変化を遂げている。///伏見はある時代から豊臣秀吉が作った伏見城城下の町であり、もっとも知られているのは酒の醸造所群。酒倉。一方で鳥羽伏見の戦いがあった。当地は死屍累々であろう。いや伏見以外でも京都は地下に眠る無数無名の死体が時代を超えて多く残存、埋没しているように思う。雅な街、それと裏腹の怖くて掘れない街、それも京都である。筆者は北区〜伏見区東山区下京区左京区と5ヶ所に暮らした。33年間。///そういう場所で上映することは少々小っ恥ずかしいことでもあった。/// 柳川さんがリハーサルを始め、川口が食事に出かけ、香村が楽屋で化粧をする。アニーズカフェでの上映の難点はスクリーンだった。スクリーン代わりになる適切な壁がなく、布を垂らすにしてもそれに適した構造体を設置するのは難しいのでは?と、Amazonで自立式のものを購入した。実家で母親に手伝ってもらい自立させた。これが想像以上に素晴らしい。いい買い物をした、と瞬時に思った。私はプロの映画作家ではない。映画では稼げないし、はなから稼ぐ気はない。仕事も映画関係映像関係で働く気はさらさらない。(まー、そのへんはたまにバイトする程度)。ただ経費分だけは取り戻すべきだ。上映経費は思ったよりかかる。映画の興業組合、映画館相手、配給会社を相手にして真面目にやればやるほど損をするカラクリになっている(と、よく耳にする)。そこで小型映写機や軽量スクリーンを持ち運ぶという映画の原始性、行動の原始性に帰る。ここから考えなおそう。映画館に依存しなくとも映画は存在しつづけるということを。たった一人でも。///すぐに忘れかかるが、一時期のアメリカのインディペンデントには多く学ぶところがあると思っている。ジョナス•メカス、マイケル•スノウ、ケネス•アンガーはつい先日逝去してしまったが、もちろん。ブラックマウンテン•カレッジ、、、これは映画とは直接関係ないな。/// リハーサルがすべて完了し、開場。まずは「砂漠の小舟」。昨日も大阪で全篇通して見た。今日は途中で抜けて楽屋窓からスクリーンを眺めていた。アニーズカフェは天井に吸音材が設置されているため、上からの音の跳ね返りがなく、アクースティックな音がほんとに心地よい。全体的に程よく雑然とした空間で気取ったところがなく、たいへん居心地もいい。映画が終わり、ライブ。まずは柳川芳命さん。柳川さんの名前は京都のJAZZ屋の壁チラシでよく見かけた。が、初めて演奏を聴いたのは2022年末のYellowVisionにおいてであった。今回のブッキングはお店にお任せした。すると、柳川さんにお願いした、ということで少々驚いた。それほどにアニーズでは演奏されているのだ。常連なのか、それはわからない。演奏にはアルバン•ベルク、アントン•ヴェーベルンなど新ウィーン楽派の無調音楽に近いゆるやかなテンポを感じた。緩急づけで展開させるというよりも、長調には決して展開しないという意志、かといってそれを意識するのではない。はぐらかし続け、目立とうとしない意志によって目立つ意志が持続しているように思えた。うまく言えない、うまく言えないが、そんな気がしたのだ。許せインプロの神よ。続けて香村、川口デュオ。昨日との違いは川口のエフェクターが加わったことで音のエッジが強くなったことか。昨日とはずいぶん印象がちがい、二人の力量を感じた。//しかし、なぜ、ライブをくっつけてライブ映画を上映するのか?という問いは残ったままだ。今生きられるものと複製されたもの、その差異を知覚してほしいのである、と、そこまで大袈裟なものではない。いろいろあっていいのだ、とただただ子供っぽく言っておく。。飽きる時には飽きているので別の方法を模索するだけだ。ただ、「わざわざ他人と肩を並べて映画を見る」という行為の意味がわからない、という世代がいることを筆者は痛いほどわかっている。そういう理由で映画館、小映画館が潰れていくのなら、あの整然と固定され、並んだ観客椅子など最初からいらないのだ。美は乱調にあり、階調は偽りなり。常に形を変えて生成してゆくものが好きなだけなのだ。///上映、ライブと終え、お客さんと少し歓談。俳優を志している70年代の香港映画に出てきそうな若者、車内用のふんわか甘ったるい香水をぷんぷんさせているのはなぜに?と思う。。二日前に初対面、会ったばかりのクリストファーもどういうわけか来てくれた。一杯奢るよ、と言ってワインを奢った。バレリーナの妻が外で待っていると言うので帰ってしまったが、またどこかでクリスのトランペットの演奏を聴きたい。81歳でトランペッターは充分チャレンジャーやな、心からそう思う。///アフターアワーズ、日付が変わる過ぎまで飲んだくれた。香村さんも終始ゴキゲンでワーワーはしゃいでいた。いろいろ話したが柳川さんの音楽ルーツについての話が意外で面白かった。

 

 

最後にアニーズカフェのowner,Tsuyoshi Takenoさんに感謝します。(もともと変身キリンという京都の80sのインディーズバンドの方だった!知ってた!)

 

 



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楽屋


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楽屋(B2)からのスクリーン(B3)