読書ノート15 『神秘日本』 岡本太郎 

 

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先日「太陽の塔」(2018)というドキュメンタリーを見て、あらためて太陽の塔および岡本太郎につていて考え直してみようという気になった。その前に観賞直後Twitterで呟いたことをまずは再録しておく。

 

 

ドキュメンタリ「太陽の塔」7割くらい観。太郎スローガン「芸術は爆発だ!」のマスイメージを解体せんとする意思を感じる。学者やそこそこのアーティストらが饒舌に喋りまくりウザく感じられ半分スルーしていたが、西谷修赤坂憲雄の真摯な話は勉強になった。民芸運動にも通じるスタンス?了解。

 

 

太陽の塔」つづき。椹木野衣が「人類が滅亡し、地球が荒廃したあとに、ただそこにある太陽の塔」を仮定しながら話しているくだりがなんとも言えない…太郎が生きた社会の最大限のポトラッチ(蕩尽行為)であり、GIFT(贈与)であったが、最終的に殺すに殺せない儀礼的供物(呪物)と化していくという視点…

 

 

このドキュメンタリーは赤坂憲雄を出演させ、大いに語らせたことによってだいぶ引き締まっているように思えた。一見太郎とどこに接点があるの?と思うが、美術品=呪物という視点があってからこそ。若き太郎が学んだバタイユが設定した「太陽=呪われた部分」を意識されてるのかどうかは知らんけど。 

 

 

2025年に大阪万博が開催される予定であり、タイミング的には第一回大阪万博(1970)のあれこれについて考え直しておくいい機会だと思われる。それ以上に、太陽の塔はすでに2020年、国の有形文化財に認定されており、<永久保存>が決定しているという意味で、「永久に考え直す」タイミングを常に外の世界に放出していると言える。

 

岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」のおじさんであり、私も子供の頃テレビで何度かその姿を見た記憶がある。当時はさして岡本太郎の作品には関心を持つことはなかったが、小学校の夏休みの地蔵盆で日帰りのバス旅行イベント(地蔵盆というのは関西特有のものかもしれない、こちらでは見かけたことはない)があり、町内のみなさんと万博公園まで出かけた記憶がある。その時にはじめて太陽の塔を間近に見た。不気味さは感じられず、ただ「でかい、でかすぎる」ということだった。

 

ただ70年代の当時「芸術は爆発だ」というマスイメージを与えてしまったことによって、岡本太郎のイメージが決定してしまい、そこでそれ以上のことを知らずに通過してしまった者は少なくはないだろう。私もそのうちの1人だ。後年、ジョルジュ・バタイユを含む社会学や美術関連の著作を読んで、岡本太郎との関係を知るわけだが、バタイユや当時のシュルレアリズム(というよりも反シュルレアリズムのレアリズム)のグループと接近していた頃に、「日本のことをもっと知らなくては」ということになったのだろう。日本で通常暮らしている時は自分が日本人だと意識する事がない。海外に出て初めて自分が日本人であることを意識するのだ。これは誰にでも起こることである。特に他国に接した地続きの大陸ではなく、海によって閉じられた島国の日本であれば、なおさらそうなのである。

 

『神秘日本』全てに目を通したわけではない。ここでは「オシラの魂ーー東北文化論」を取り上げて感想を述べておきたい。以下は男女会話形式による感想文だと思っていただきたい。

 

 

🟢まず、東北という実際の物理であり、概念であり、人々の持っているイメージのことだけど、東北って特に関西から関東に出てきた僕にとっては、やはり未到の地であり、それゆえに興味がそそられるという気がする。

🟠そうよね。関西だったらどちらかといえば沖縄への憧憬が強いんじゃない。

🟢沖縄の人は関西にたくさんいるしね。そうかもしれない。関東に住んでても、あ、この人東北だなという人は本当に稀にはいるけど。で、なんとなくの意見だけど、子供の頃は民話に出てくる鬼とか、妖怪って東北のものだという印象があった。

🟠そうね、あと演歌や歌謡曲で東北の侘しさを表現している歌、そういうのはあったでしょうね。私も露骨な東北弁喋る人って出会ったことないし、テレビドラマや映画なんかで東北弁を聞いたくらい。そういう人が多いとは思う。

🟢東北ならぬ北東といえば、それは鬼門だけど、これは全国共通なのかね。

🟠さあ、どうかしら。家の引っ越しで北東に玄関がある家は避けるというやつね。

🟢歴史的には北東を忌み嫌うというのは近代の?家相学に基づく北東封じ(鬼封じ)から強くなったのかな。

🟠もっと昔からあったんじゃないかしら。しかし、鬼門封じという世俗感情における北東に対して、政治的には、北東は「征夷大将軍」という<蝦夷>(えみし)を征伐するという政治的措置が奈良平安の朝廷時代から江戸幕府にかけてずっと続いていた。

🟢征夷大将軍も日本史の授業で習ったね。坂上田村麻呂だったっけ。

🟠奈良朝廷、平安朝廷においては、蝦夷の<夷>(つまり征夷の<夷>)が東北を意味していて、江戸が中心になって以降は東北に加えて北海道も加えられるようになったんだって。

🟢そうなんだ。それじゃあアイヌとかも含むわけだよね。

🟠おそらく。

🟢岡本太郎のこのテキストにおいてはアイヌは取り上げられていない。どちらかといえば、恐山中心のレポートとその感想なんだけど、まずは恐山ていうのは日本の三大霊山の一つ。

🟠京都の比叡山、和歌山の高野山、そして青森の恐山ね。

🟢恐山て最初なんで知ったのか覚えてないけど、なんでか知ってたよね。

🟠なんとなく、「イタコというすごい人たちがいる!」というワイドショーなり、週刊誌なりに取り上げられて、脚光を浴びたんじゃないかしら。

🟢70年代のことかな。いつ頃だっけ?

🟠正確には忘れたけど、この太郎の「オシラの魂」が中央公論に掲載されたのは1962年で、恐山参りに行った時、首からカメラぶら下げたジャーナリストがわんさといたという記述もあったので60年代の時点で何らかの脚光は浴びていたのかもしれない。

🟢そうかもしれないね。寺山修司が作品に恐山を入れ出したのはどの辺りになるんだろ?

🟠調べたけど1962年に恐山というラジオ番組をやっている。

🟢そうなんだ。僕は実験映画も劇映画も全部見ているけど、ラジオか。しかし1962年といえばこの<オシラの魂>が書かれたのと同年じゃないか?!

🟠そうよね。だからこのあたりは一時的な恐山ブームだったんじゃない?調べたら大正時代にも恐山ブームがあったらしいけど、これは調べてもわからなかった。

🟢で、太郎のテキストに戻るんだけど、まずイタコという盲目の老女がいて口寄せをする、それを見るのが一つの観光目的でもあり、ジャーナリズムやルポの対象ともなっていた。

🟠口寄せとはどういうこと?

🟢全国の参拝者の中でたとえば「死に別れした相手と会いたい」とか「少しお話しいたい」とかなるとイタコが口寄せして、目の前の生者との媒介(霊媒)になって会わせてやるという儀式。ここで太郎が次のように捉えている。↓

 

つまりここは人生をいわば最低の条件で生きぬいてきた人たちが、はじめて自分の本然の姿を見いだす場所。死者と生者の交流の広場。不当に死んだ魂と、ただ今、この世で現し身の重荷に耐えている人たちの生霊が、親身にふれあう、魂の広場である。この荒涼とした場所は恐らく婆さんたちにとっては豊かに彩られた楽園なのだろう。私には見えない、聞えないけれど、ここいっぱいに音のない楽が湧きおこり、見えない色が絢爛とひらいているに違いない。現代の都市生活で、自然から断ち切られた市民たちが公園に行って心の安らぎを得る。ちょっと手 続きは似ているが、しかしそんな便宜的、功利的なものではない。この広場には生命全体の切実な感動がある。

 

🟠実際行ったことないからわからないけど、霊山参りというのは、単なるお墓参りとは違う儀式的なものなのね。

🟢えも言われぬ別れ方をしてしまったり、そういう現世の絶望を切実に抱えた人らがやってくる、ということなのかな。

🟠太郎はシャーマンとしてのイタコの内面世界をすごく肯定的に捉えているということね。

🟢そうだね。この1962年あたりにはどういう作品を作っていたのかな?恐山と関係あるもの?

🟠調べたんだけど、1963年に<装える戦士>というシリーズものを作っていて、パッと見て「どこが恐山と関係あるんですか?」というもので、作品と言説とは一旦切り離して考えてたんじゃないかと思えるし、<装える戦士>は太郎自身のことかな?というふうにも捉えることができる。

🟢そうなんだ。しかし、これだけの分量あるテキスト、しかも表現力に富んだテキストを書くっていう才能があるんだよね。とりあえずは。

🟠そうね。パリに留学して、おそらく仲良くなったバタイユに「お前は日本のことわかっとらん!俺はラスコーの壁画まで調べ尽くしてヨーロッパ美術を理解しようとしているのに!」と叱咤されたんだと思うよ。

🟢外圧からくる日本回帰ってまあパターンだよね。

🟠そう。太郎はむしろそういう国家とか民族すらも超える人間の根源的なものに対しての憧憬がすごくあったしありすぎたとは思うけど。

🟢それは次の文面なんかに表れている。↓

 

 

絵画なんて、すでに好かれるという要素のかたまりのようなものだ。したがって逆に、猛烈に好かれない工夫をしないかぎり、呪術的エネルギーは生かされないのである。あたかも色、形、その美しさで人を説得しているように見えるかもしれないが、実はそうではなく、裏にひそんだ、外貌とはおよそ違ったもの。それが力となって、受けるもののまったく油断し、自覚してない場所でひっ捉えてしまうものなのだ。芸術の話になってしまったが、この問題は別に十分展開する必要がある。ここではいささか飛躍するが、呪術には、このような矛盾が絶対条件である。否定・肯定。愛憎。信・不信。ところで、口よせのとき、イタコにはまず、おろして貰いたい仏の亡くなった年だけを告げる習わ した。 昭和十八年の仏だとか、明治三十年の仏だとかいう。あの世では、仏は年別に整理されているらしい。その点、アストロロジー(占星術)で生年月日、時刻まで報告させて、シチ面倒くさい計算の結果、納得させられるよりも、この方がはるかに簡単でよろしい。

 

🟠<猛烈に好かれない工夫をしないかぎり>ってわかるわ!しかし、呪術的エネルギーって一言で言うけど、どういうことなんでしょうね?

🟢このテキストが収められているのは『神秘日本』なんだけど、太郎が神秘を追いかける、という神秘性を感じてしまう。

🟠この世のほとんどが神秘的でない、自明のものであると前提して、ここに行けば神秘があるんじゃなかろうか?と、いうふうに神秘を追っかけるということね。それこそ神秘を求めるにはある種の憑依がいるんじゃないかしら?

🟢そう。そこが僕はちょっと批判したいところなんだな。

🟠どうしてよ。

🟢それはあとで説明するとして、恐山ってのは寺の管轄なんだよね。個人の持ち物でもないし、企業の持ち物でもない。

🟠そりゃそうでしょうに。

 

 

本殿に行く手前、左手に本堂がある。恐山はふもとの田名部町の、曹洞宗円通寺の管轄。 つまり禅寺である。今度の祭りにも、そこの住職がのぼって来て「上山式」というのが行われるのを見た。本殿の左手からサイの河原がひらけることはすでに言ったが、この山全体が地獄・極楽の民衆的イマジネーションの不思議な舞台になっている。仏教的因果のヴェールをかぶってはいるが、その底にははるか古代からの、死霊の山としての信仰がある。死者の霊は恐山に行く、と信じられた。「お山さ行ぐ」というのは死ぬことである。今でも、病気が重くなってきたりすると、「あれはもう、お山さ行ぐんでねか」などと、ごく日常に使っている。一方、山門の右手、便所の建物の中には、男根型の石がキモノを着せられて、まつられている。コ ンセイ様である。繁栄、豊穣を祈る民間信仰。 これこそ、そもそもこの霊山の御本体だという説をなす人もいる。

 

🟢禅寺というのに少々驚いたな。

🟠どうしてよ。

🟢ジョンケージが龍安寺に行って、ポツネンと置いてある石庭の石を見て、点描奏法を閃く、とか、そういうメディウムが禅寺的なのかな、とかそう思っていた。

🟠確かに。太郎の記述を見てみると、恐山とは<カオティックなエネルギーに満ち満ちた空間>という捉え方してるよね。↓

 

 

 

それにしても、何とニギヤカなことだろう。こういう互いに関係のない宗教、信仰が勝手に集まってきて、それぞれ強弱さまざまのニュアンスで生きている。 あらゆる不条理が、別に矛盾も感じないで、一つの雰囲気となっているのだ。いったい禅寺の坊さまたちはこの異様な周囲をどう感じ、どう処理しているのだろう。純正で、正統的であるべきはずの仏教が、己れの領域にこのような、いわば邪教ともいうべき異質の侵入を許してよいものだろうか。とかくキリスト教その他の世界宗教の厳しさを知っていたり、もの事の筋をとおしたくなる近代人の常識は、そんなことが気になってしまう。

 

 

🟢太郎ののちの発言「芸術は爆発だ!」の経験的な根拠がこの文から感じられたりするんだけど。というのはここでは正邪混濁のエネルギーが語られたりするでしょ。それは爆発を生む<対極>であると言える。

🟠なるほどね。実際恐山に行ってみればわかるんだろけど、イタコの老女の生態とかどうなんだろうね。最近は数も減っているって何年か前に聞いたけど、さっきYouTubeで調べたら「最後のイタコ」という人が2人出てきた。どっちやねん?という。

🟢イタコは恐山に常駐しているわけではなく、東北に散在していて、出張するような感じで恐山に来ていたらしい。

🟠そうなんだ。盲目だから一応障害者手帳持っているわけだけど、別の仕事とかもしてるのかな?

🟢東北っていえば瞽女(盲目の三味線弾き)の発祥でもあり、『はなれ瞽女おりん』という篠田正浩の傑作(の映画)があるけど、先天性の盲目で生まれてくる女性の確率が多いのかな?

🟠さあ、それは調べればわかるんじゃない?日照時間はとりあえず短いだろうし、農作物も取れるところと取れないところが極端に差があるらしいね。

🟢作家で言えば青森では太宰治寺山修司、、

🟠それしか思いつかない。

🟢大宰の生家にたまたま寄ることになって<こんな洋館で育って気の毒に・・>と茶化している記述もあったな。

🟠それはそうと、川崎に岡本太郎記念館があって一度行ったことがあるけど、山の中腹にあるのよ。すごい行きにくいところだった。

🟢あのあたりはね、多摩川が長年かけて土地をめちゃくちゃに削りながら蛇行しているところでカーブ外側の土地の起伏がすごい激しいんだよ。それが山と谷になっている。

🟠そう坂道のアップダウンがすごい。

🟢何回も土地を削ったり、それによって持ち上がる土地が出来上がってああなってるんだってよ。水と土の弁証法唯物論

🟠二子玉川の駅降りて橋を渡ったあたりに岡本かの子(太郎の母)の何だかわかんないけど石碑が立ってたな。

🟢幼少期には川崎に住んでたんだよ。そんで、太郎の墓は多摩霊園にあって、だいぶまえだけど、友人と真夜中に行ったな。探すのにものすごい時間かかった。脇に作品だか変なオブジェ置いてあったの覚えてる。ちゃんとしたお参りはしてなくて酔い覚ましにノリで行っただけだけど。

🟠そういや川崎の子供時代の回想が一箇所あって印象的だった。↓

 

かつて中央の神社仏閣でも、その周辺はとかく乞食やライ患者の巣であった。私は子供の頃、両親につれられて川崎の大師さまに初詣でに行った。門前町の狭い道すじの両側、お堂の周辺まで、おびただしいライ病患者が物乞いしている。その時初めて見た、くずれ腐れた姿に度胆をぬかれた。しかしそれは一種の神秘的な戦慄だった。浄とけがれ。相方は人間の条件として、互いに強調しあっているのではないか。ヨーロッパでも、カソリックの聖堂の屋根に彫られた怪物、あれは空を飛翔する悪魔を逆にたぶらかすためだといわれているが、しかし厳格な教義、信仰のかげに、あんな奇怪なデモンがひそんで、バランスをたもっているとも言える。

 

🟢これものちの芸術爆発説とその理論的基礎概念である<対極>の経験的根拠となっているような発言だね。本当は爆発は<対極>の結果ではなく、<構造>の結果であり、<構造>が<対極>を取り組んでいる形になるんだけど。まあそれは置いとくとして、太郎の絵ってどちらかといえばグロテスクなものが多くて、シュルレアリストの中では、というか、シュルレアリストを除外された画家だけど、アンドレ・マッソンとタッチが似ていて、色彩の明暗比が決定づけている何かがあるよな。その明暗比が<対極的>といえばそうなるのかもしれない。

 

🟠そう思えるよね。この文においては、日本ではその相対を神社が担い、ヨーロッパでは教会が担い、という差異もみようとしている。しかし、らい病患者の人ってやはり昔は普通に外歩いていたというのが驚きだ。

🟢らい病院自体があのあたりになかったのかもしれないよ。そうからい病院自体がまだなかった。隔離政策が本格的に取られたのはもっと後になってのことかもしれない。

🟠いずれにせよ、子供のころの感受性というのはのちの感性や思考に影響与えるものであって、今の子供らは『鬼滅の刃』とかで我慢してるんだろうけど、もっとリアルなものをリアルに体験させる環境もないとね。

🟢そうだね。まあコロナ禍のステイホーム以降はますますディスプレイカルチャーになってきているというか、オンラインイベントって言ってもディスプレイで見るだけだからね。イベントにもならない。

🟠そうね。だからこそ、こういう研究であれ、遊びであれ、遠征した上でのルポルタージュなんてほんとに素晴らしいと思うのよ。

🟢太郎がこれだけイタコというマイノリティーに目を向けてたとは知らなかったし、それは太陽の塔とか明日の神話、その他の絵画作品見てるだけではおそらく全くわからないよね。

🟠何となく、サブスクリプションで『太陽の塔』を見てしまって、民俗学者赤坂憲雄の発言に共感するものがあって、この本を読むことにした。太郎の原始趣味というか、根源追求というか、深いところから見出せるだろう新たな<太郎像>みたいなものがこれから必要とされているのかもしれないね。と個人的には2025年までにキャッチアップして欲しいな。まあ万博開催されるかどうかわからないけどね。

🟢続けてイタコの発見から縄文土器の発見に至る過程も復習しておきたいんだけど、恐山に行った時点ですでに縄文土器について触れている文章があった。↓

 

この盲の霊媒、イタコ自体は何なのだろう。古い民衆の信仰の名残りの一つであるに違いない。 いろいろ言われているが、いずれにしてもかつて歴史の暗やみの中で、それが一種のシャーマン的存在であったことは確かだろう。北方アジア民族の世界観は天上の神の国と、 現世と、地下の世界と、垂直の関係に構成されている。 その交流、交通の媒体となるのが、神秘的な霊能をそなえた呪術者、シャーマンである。 太鼓などをうち鳴らして入神する。それは神経症の現象とも、自己催眠ともいわれ、「北極のヒステリー」と名づけた学者もいるが、先天的に異常な人間が、修練をへてシャーマンとなり、自在に霊がのりうつるようになるのだ。呪術を行い、予言する。儀礼の間は恐れられ、あがめられるが、ふだんはたいていコジキ同様に軽蔑されている。このような神秘はかつて日本全土をおおっていたと考えられている。歴史の奥深くかくされた原始日本。縄文文化の土器、土偶の、奇怪な、呪術的美学がこの気配に対応していないだろうか。また大 湯で発掘されたストーン・サークル。地の底の呪文のように謎を秘めている。 すべてが、民族の暗い情熱をわれわれに呼びさますのだ。東北地方は久しい間、「化外の地」として中央文化からとざされていただけに、この彩りはより濃くここに永らえたのではないか。p22

 

🟠コジキからシャーマンへの飛躍とか、学術的には「聖俗二元論」というのかな。しかしわかりやすい図式で、それはそうだ、間違っているわけではない、というしかないんだけど国家制度はすでにその二元論は飼い慣らしていると思うわけね。だから爆発は対極からではなく、構造から。

🟢そうすると、<「化外の地」として中央文化から閉ざされていただけに、この彩りはより濃くここに永らえたのではないか。>という最後の文は、中央集権がもたらした高度経済成長と、そこから徹底的に疎外された東北という疎外論自体が対極的なものの帰結として捉えることができる。

🟠なんだかんだ言って、中央集権の産物として東北があるしかなかった。

🟢そうだとしても、太郎はやはり、個々のイタコの生命なり実像にもっと肉迫したかったわけで、そこまでのドキュメントやフィールドワークをやる時間的余裕がなかったんだよね。おそらく。次のように書くのが精一杯だった。

 

運命の惨めさからいえば、イタコの方がはるかに深刻だ。生まれながら盲目か、あるいは幼いとき に失明して、生活能力のない、いわば人間失格の女性ばかりである。そのむごく押しつぶされた眼。 われわれはそれに憐れみをもつよりも、一種の憧れをまじえた神秘感をおぼえる。その憂鬱、激しさ、 ゆがみ、ハキダメである。それは、世の不幸の象徴だ。そういう異常な人間像のみがもつ神聖感。 ――それがゆえに、常人をこえた力をももつのである。見えないからこそ見ぬいている。われわれの 見ないものを見ている。 目も耳も口もない、あのほうこと同じだ。人間になりそこなった悲しみ。 常の世と断ち切られているために、内へ内へと凝視するあの不気味さ。p24

 

🟠イタコの誰それではなく、イタコ一般として書いている限界ってことかな。

🟢そうね。まあこれだけ書くのも相当な気概がいったと思うけど、<イタコ一般=社会的弱者一般>として捉えてる時点で、もうこれは今でいうポリティカルコレクトネスとして扱われてしまう。誰も文句言えないんだよ。

🟠そうかもね。しかし、掲載された「中央公論」という雑誌の名前自体が中央集権的だな。

🟢東京に住んでてなんだけど、もはや中央ー周縁のモデルではやっていけないし、ネットやSNSのおかげで個々の意識やイデアは全くバラバラに動いているのが現実でしょう。今は世界的コロナ禍で一見、集合コロナ無意識というか、コロナ同期性が確保されているように見えてるけどね。現実は恐るべきバラバラ。そのバラバラさ加減がネットとSNSによって可視化されただけなんだ、とは思うけど。

🟠そうね、あと岡本太郎フェミニズム関連って繋がりあんのかな。その辺のトピックを強く感じたんだけど、しかし、時間が来たのでこのあたりで終わり!

🟢まあちょっとした批判も含めて岡本太郎について感想を述べたけど、素晴らしい人物ではあるし、尊敬すべき点はいっぱいある。にもかかわらず、というか、それゆえに、ちゃんとした作品評が欠落しているという印象があるな。これからの課題かもしれない。では!