夏帰詩 2020 ⚫4

 

 

 

 

さて、もう昼を過ぎた。が遡る。8時か9時、起き抜けから朝酌。母の小言を聞く。父親は完全にアルツハイマーで、オレの顔ももはや認識していない。が、たまにまともなことが返ってくるのでほんまは全部わかってんちゃうの?アルツハイマーのフリしてるんちゃう?と疑いたくもなる。週3日か4日デイケアサービスに行ってるが、突然ブチ切れることがあり周囲に迷惑をかけているらしい、そして怒りを鎮める薬を服用している。とにかく母は元気なのでよく喋るし、同世代の全親戚縁者からいろいろ頼られている。ちなみに母の作るあれこれの味はすべて薄い。今日も過激な暑さだが、もう外出する。晩の用事までかなり時間がある。
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↓母が今読んでいるのは、女帝 小池百合子。 最初のページになぜかボードレールが引かれている。
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15:35

さっきまでカンカン照りだったが急にパラパラと雨が降り出し、曇ってきた。///さて、 三条木屋町高瀬川沿いにTIMESが出来たのは高校1年生の頃だったと思う。1986年か、7年。このTIMESの老朽化、というか形骸化についての記事を最近どこかで読んで、なんとなく足を止めてしばらく眺めていた。設計者の安藤忠雄を初めて知ったのはこの時(一応名前は覚えた)で、時代はDCブランド花盛りの時だ。三条沿いのファサードにはKENZOが入っていた。今になって思えばポストモダン文化のピークとも言ってよく、京都にはPARCOはなかったけど、休日にファッシヨンビル(BALやダイアモンドビルなど)やデパートを往還し、1日街で過ごすという10代も多かったように思う。今となってはこのTIMES、このコンクリートの打設しっぱなしのビルになんの新鮮味もないが、当時は斬新だったし、充分目新しかった。時代の気分(あくまでも気分)に華やかさがあり、10代は京都の名刹には目もくれず欲望そのままに服を物色していたと思う。と、こういうとりとめのないことをダラダラ書きたくもなる。ちなみにいちばんよく行ったし買ったのはダイアモンドビルに入ってたヒステリック・グラマーだった。今はCOCON烏丸があるけど、当時寺町六角かそのへんにCOCOONというパンク/モッズの舶来服のショップがあった。…服っていいなあ、と京都くるたび思う。今はそうでもないだろうけど、昔は着倒れの街。
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今はもう水辺のカフェはやってない模様。

 

17:24

某所撮影。明日も行くかも。

 

23:20

会はお開き。帰宅中。

 


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