美術ノート19



■ 動物絵画の250年(後期) 府中市美術館






今でこそ2020年東京オリンピック開催にあわせてのジェントリフィケーション−再開発が進み、東京23区外の一郊外の市街として認知されがちな府中市であるが、実のところ、その地は律令時代に武蔵国国府(現在の大國魂神社)が置かれたこともあって、政治・経済・文化の中心地だった。(倒錯した表現になるが)その意味で府中は<古代の首都>と呼んでもおかしくない場所だったのだ。そんな歴史ある府中市の一画で開催中の「動物絵画の250年」(後期)に行ってきた。 





ごく率直に言ってすばらしい展覧会だ。ほとんど私は円山応挙目的で足を運んだのだが、応挙の数点以外にも、魅力的な動物絵画がたくさんあった。カテゴリーとしては猫、子犬、鹿、鳥、兎、そして虎という馴染みのあるものの他に龍などの架空動物もピックアップされている。なかでも面白かったのは円山応挙(1733〜1795 京都)の『虎図』と応挙晩年の弟子筋である吉村孝敬(1769〜1836 京都)による同一タイトルものが<並置されている>ところだった。それも同一アングル、そしてほとんど同一の筆触で捉えられたもので、師匠と弟子という関係から発したこの2つの『虎図』を同時に観賞できる希有な機会だと思う。次に谷文晁(1763〜1840 江戸)の『猿蟹図』。あの昔話の『猿蟹合戦』を戯画化したものといえば軽卒な言い方であるが、小動物が人智の外側でかろやかに戯れるそんな場面をほんの数秒でサッサッと描いたような才気は、田能村竹田(1777〜1835 江戸)の『蟹図』の「洗練」に勝るとも劣らない達成だろう。





少々変わったところでは、北鼎如蓮(生没年不詳 江戸)の『鯉図』が気になった。葛飾北斎、および北渓の弟子でもあった北鼎であるが、鯉が水面から跳ね上がるダイナミズムをあらわすのに際し、雲形定規でつけたような(あえてフォトショップなどとはいうまい)垂直にのびるアールの模様が実現されている。それらがグラデーショナルに重なりあうさまは、ジョルジュ・ブラックキュビズム絵画を先取りしたものか?と見まがうほどの見事なものだった。なお、北鼎は、(会場で配布されている作品解説によると)葛飾北昆が「北鼎」と号したこともあって、両者を同一人物とする説もあるそうだ。





あと、伊藤若冲(1716〜1800 京都)も忘れてはならない。京の台所とも言われる錦小路(正確には錦小路高倉)の青物商に生まれた絵師(今も若冲碑を拝むことができる)は、数々の鶏図で知られている(売れ残りの野菜を鶏の餌にしていたのか?)が、今回は『河豚と猿の相撲図』を見ることができた。これも先述した『猿蟹図』と同様小動物がもつ愛らしさ滑稽さに加えて、淡色の趣味の良い仕上がりになっている。若沖レッドの実現とでもいうべき『鶏図』のシリーズとはまた微妙にちがった颯爽たる作品だ。そして若沖の周辺で活躍したとされている若演(生没年不詳 若冲の弟子あるいは子とする説があるらしい)。若演の描いた『葡萄雄鶏図』がまたすばらしい。モノクロのゆたかな葡萄から伸びしなる蔓にまたがった雄鶏が、なんの虚飾もなく描かれているだけなのだが、微妙きまわりない危うい構図バランス、そしていまにも画面が揺れだしそうなリアリティが感知される。それは絵画が絵画であることをやめ、ついに映画(動画)に近づく、そんな一瞬を切り取ったものなのだと言えるのではないだろうか。




まだまだたくさんある。しかし、こういう他愛ない文章(感想)は際限なく書けるので筆を置くことにするが、ひとつつけ加えておくと、「写真のない時代」に<記録−ドキュメント>という目的をも兼ねた絵画技術がこれだけの達成をもって展開されていたのだ。これは驚くべきことではないだろうか。(それを<誇らしい文化>と言わずになんといえばいいのだろう)。動物たちへの苛烈な視線とその描写が圧倒的な精緻さにおいて実現されていた、たったこれだけの事実を確認するためだけに足を運んでも充分価値のある展覧会だった。・・・そして最後に後味のわるいことを敢えて言っておくが、・・・ほとんど<自己愛の裏がえしとしてのペット愛>をSNSなどで恥も外聞もなく他者に向けて垂れ流し、コメントや承認を欲しがっている幼稚な暇人にこそ一刻も早く観てほしいものだ。後期展示は5月6日まで。(2015-4-18)