近況

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特定秘密保護法案を担当していた森まさこ議員のHPを覗いたが、この件に関するアーティクルは皆無。
(夏ごろから記述なし)。秘密保護法案可決以来、メディアへの露出もなし。(すべて拒否)。ここで「彼女自体が秘密なのだ、」といえば大げさだろうか。中年期のジャンヌ・モローに似てなくもない。


表象のメカニズムとして、「何かをあらわしてしまうと、何かを隠してしまう」ということがある。
つまり、この場合、発話主体にとって表象それ自体は内容的に無意味であり、隠すべき内容を隠す、ということに意味化の力点が置かれる。(逆にいえば、沈黙の死守とは、それ自体において強大な意味内容を準備するものとしてみなされうる・・たとえば法的に制度化されている黙秘権)。虚構と秘密はちがう概念である。政府が過敏になっているのは虚構である。だから秘密という概念に依拠する。



森議員は、(主婦受け)消費者庁の設立を推進していたが、どうなったのか。




毛沢東は、スターリンヒトラーなどと並んで、一般的に悪者扱いされているが、質的にその悪ぶりがちがうと思われる。毛沢東は、真性のマルクス主義者であるが、マルクス以上に、過激なプラグマティストだったのだ。毛思想には、是も非もあり、今となっては非の方が目立つ(日本においては、悪者としての毛沢東が流通している)が、近衛兵による暴行によって多くの犠牲者が出たり、サボタージュ(破壊工作)を派手に推進していたためだろう。中国は派手なものが好きなのだ。といえば、それまで。そしてチェンカイコーという中国の映画監督が書いた「わたしの近衛兵時代」という新書をむかし読んだ記憶が・・・。


「・・・しました」を「・・・すますた」と言い換えるネットスラングは、女性のほうが、多用しがち、と思われる。女は「ス」がすきなのだ。



秘密と内緒はどうちがうのだろうか?情報のアンシェア、シェアのちがい?



「○○のことは秘密にしておこう」と、Aさんは秘密にする。Aさんは「秘密の○○のことなんだけど、○○は、これこれこうで・・・」と、それをBさんに告げる。この時点で「○○」はもはや秘密でなくなっている。Aさん→Bさん→Cさんと○○が「秘密」として無限流通してもなお、「○○」は秘密なのだといえるのだろうか。ものごとには必ずパラドックスがある。



監視する者を監視する者を監視する者を監視する者を・・・・・という無限性は、結局何も監視できない、ということ。秘密にする者を秘密にする者を秘密にする者を・・・・も、同型の論理。


そして、警察/検察の事情徴収で「映像」が使用されだしたのと同時期だということは特筆すべきだろう。「わたしの言語の限界こそがわたしの世界の限界である。」・・・ヴィトゲンシュタイン


7の着地点から再度「秘密」を抽象的に考察する必要あり。