マンガノート 1




■ 『カムイ伝』 第一巻  白土三平



マンガを読むこと ゆっくりと ていねいに ナメクジが毛氈をつかって床を這うように 一文字も見逃さずに 印刷上できあがったインクの染みも見逃さずに 駒の順番をけっしてまちがえることなく 吹き出しの順番を正確に追い 作者やアシスタントのペン軸の動きをさらに追い どこから書いたのか 線が生きているとはどういうことか どのように実現されうるのか 想像できうることを想像しながら 


マンガ文化 というよりも 現行の出版経済をささえる 超高速の大量生産と大量消費に抵抗して ゆっくりと さらにゆっくりと あまりにもゆっくりすぎて 話を忘れるほどに 読み進める 一回読むのは2ページ それ以上進んではならない 続きが読みたくても あえて読まない これを繰り返し 1年かけて 第一巻を読み終えた とぎれとぎれに 


自然のなかで動物が生きる 今から300年ほど前か 江戸時代に シカやオオカミ イタチ テンなど 印象にのこっているのは 自然のなかでは黒よりも白が目立つので 白い毛をもった動物が 同じ種族の動物たちから 毛嫌いされ 仲間はずれになる 白は敵の目につきやすく 群れになって行動すると敵が察知してしまい 邪魔な存在になる ということを描くために えんえんと白オオカミの描写がつづく ときおり ナレーションのような作者のコメントが駒外に差し挟まれて あとは動物の鳴き声 自然の環境音だけが駒のなかから聞こえてくる 


動物は群れをなすが それは非決定の力関係 いつなんどきでも ひっくりかえる可能性を秘めた 力関係の動態系を生きているということで 人間社会のような固定したヒエラルキーを維持するためではない 人口の1パーセントにも満たない武士が自らの権力を維持してゆくために 農民をどのようにコントロールしてゆくか ということが 米の生産過程から年貢納入まで時期を追いながら綿密に描かれる 千歯コキの発明によって 職にあぶれた女たちや 農民の男に惚れてしまった非人の女が結婚は無理だと悟ったあげく 首を吊る さまざまな悲劇が起こるが 管理権力が目を光らすのは まず農民に徒党を組ませてはならならないということだ そういう意味で徒党を組む というよりも いっそう強力にグルになって 群れを成して行動する動物たちには 悲劇はない あるのは生臭い血だけだ (それを悲劇だと見なすのは人間中心主義のエゴイズムであり・・という話になると長くなるのでやめておく)


このような時代と 現在とを比べることは愚かなことだろうか 管理の視線を集中させる もっともヤバい場所に 何かが起こりそうな不穏な場所に 点火し 暴発させ 安定した空間に亀裂を入れるものに 流れを切断し 別の流れと組みかえて 麻痺させる者に つまり<権力者を消耗させる者>に コンプライアンス プライオリティ ソーシャル・ネットワーキング そんな言葉の垂直的強度を薄めた横文字を使いながら 頭のよわい若者を不安にさせつつ喜ばせながら そう 権力はそれ自身が権力であることを隠しつづけるのだ 釣り人がまんべんなく撒き餌をするように 直接的に餌をあたえるのを遅らせて 権力を使うタイミングと対象を慎重に計測しながら 管理の視線を鍛えてゆく 



フーコーの分析した一望監視装置 アルチュセール省察したAIE(国家のイデオロギー装置)はまだ生きている 直接行動をどんどんと遅らせ じわじわと麻痺させ そして何よりも <権力についての知識をもたせないようにする> つまりは無知の状態にとどめておくのだ   


白土三平は動物の目を黒く塗りつぶさない それは決して子供向けの動物=無意識の表象ではない むしろ動物たちが徹底的な意識家=懐疑家であることによって 人間社会を断罪する そんな苛烈なクリティカル・アイ(批評眼)を装填した鋭敏な生物として そして 焦点をこちら(読者)へと決して合わせるような<媚び>を売ることを 徹底的に排除した 冷酷な動物機械として 描かれている 





(付記)
マンガを高速消費することは、原理的/科学的に言ってそれ自体権力が文字を抑圧するプロセスを強化することに他ならない。また、イメージそれ自体の自律性(ジャン=ピエール・ゴランの言葉を借りれば「image is just image」)と言語の自律性、それらの相関関係の強度を薄めてゆくことに他ならないだろう。これはすぐれて映画的な問題系であるばかりか21世紀世界が20世紀映画的である限りにおいて、すぐれて日常的な問題系でもある。また、あとがきで中沢新一が『カムイ伝』で描かれている三種のピュシス(自然)を抽出しながら解説を試みているが、白土三平や彼の作品を映画化した大島渚(『忍者武芸長』)などの狙いは決してエコロジー的還元に留まるものではない。「歴史とは階級闘争の歴史である」と簡潔に断言したマルクスの思想をマンガとして最表象したもの、と言えば言い過ぎかもしれないが、透徹した階級構造分析のもとで描かれているにはちがいない。非−還元の還元であり、反-現象学である。